aya.ヒストリー

アトピーと喘息

1980年、東京に生まれた私は、物心ついた時にはアトピー性皮膚炎で
ステロイドの軟膏を毎日塗る生活をしていました。
4歳で小児喘息を発病し9歳で福岡へ引っ越すまで
毎日のように病院へ通い、ひどい時には入院もしていました。

喘息が発病するまでの私は、活発で外で遊ぶのが大好きでした。
家の裏庭で虫を捕ったり、秘密基地を作ろうとしたり、
好奇心旺盛で本が大好きで本で読んだことをみんなの前で話したりするのが
好きな人懐っこい子だったと思います。

母との関係

喘息が発病してからは少し様子が変わってきます。
走ったり笑ったりという、ちょっとしたきっかけで発作が出て
そのまま入院なんてこともあったので、
母は私の一挙手一投足に神経を配るようになっていきました。
テレビを見てちょっと笑いすぎると怒られたり、
友達が外で遊んでいるのに私だけ部屋の中にいるように言われたりして、
この頃から、だんだんと「自分はみんなと同じようにできない」という
思いが生まれ始めた気がします。

集団生活ができない

幼稚園に通い始めるとその思いがさらに強くなります。
毎朝、準備に異常なほど時間がかかる。
みんなと同じように、決められた時間内に決められたことができない。
この頃からはっきりと自分に劣等感を抱くようになります。

福岡に引っ越して

9歳の時に福岡に引っ越したことで喘息は劇的に改善しました。
でも、もうその頃にはすっかり「動くの大嫌いっ子」が
出来上がってしまっていました。
加えて、この時習っていたピアノの先生がとても厳しく、
1日3時間練習するように言われていました。
そのことで友達と遊んだりテレビを見る時間が減り、
なんとなく友達の輪に入れなくなっていきました。
幼稚園の頃から芽生え始めた劣等感は年々強くなっていて、
ただでさえ人とのコミュニケーションが苦手だったので
学校に通うことが辛いと思い始めました。

母との関係性バナー

母との関係性

喘息が発病したこと、友達を作ることが苦手だったこと、
この2つが私と母の関係を親子であり、親友であり、
支配する母と依存する娘という特殊なものにしていきました。
私が心配なあまり何から何まで先手を打ってやってしまう母と
何から何まで全ての決断を母に委ねる私。

「あなたは何もできないから私の言うことを聞いておけばいい」と言う母と
「私は何もできないから母の言うことを聞けばいい」と言う私の関係は
私が社会人になってからも続きます。

お互いの利害が一致している間はよかったのですが、
30歳を過ぎても未だに私の生活を全て把握し、
干渉しようとしてくる母に、さすがの私も危機感を感じ始めます。
遅ればせながら独り立ちしようと行動を始めた私のことが関係あったのか
どうかわかりませんが、
時期を同じくして、母は不眠を訴え始めます。

母のうつ病バナー

母のうつ病

内科で睡眠導入剤を処方してもらうも効果がなく、
だんだん母は追い詰められて最終的にうつ病と診断されました。
そこからはあっという間に仕事や日常生活にも支障をきたすようになり、
とうとう入院することに。

一緒に暮らしていた祖母は日常生活に介助が必要で
私1人では到底世話をしきれないので、
グループホームに入ってもらうことにし、
平日は母の病院へ土日のどちらかは
祖母のグループホームへ通う日々が始まりました。

その頃私は転職したばかりで、
なかなか仕事を上手くこなせず、終電で帰宅する毎日でした。
母は入院して一時は症状が回復したものの担当の医師とソリが合わず、
どんどん心を閉ざしていきました。
私は私で、自分の置かれた状況を受け入れることができずに、
母に寄り添うことが全くできずにいました。

母の自殺と祖母の死

4ヶ月ほどの入院期間を経て、
母は退院し、通院に切り替えることになりました。
そして退院してちょうど1週間後、
いつものように終電で帰ってきた私の目に、
自ら命を絶った母の姿が飛び込んできました。

それまで自分で何かを決断した経験がほとんどなかった私は、
その日から否応無しに
様々なことを自分で考えて決断する必要に迫られました。
そしてそのうち、意味もなく恐怖感を抱くようになってきました。
夜は眠れず食欲もわかず、仕事ができなくなり、
転職して1年もせずに退職。
パートしながら、休み休み過ごしていました。
やっと少し落ち着いてきた頃、祖母が突然脳梗塞で亡くなりました。

ヨガインストラクターになる

母の死のショックからやっと立ち直りかけていた所への祖母の死。
孤独感を感じながら「人はいつか必ず死ぬ。
そしてそれが、明日なのか、10年後なのか50年後なのか、それは誰にもわからない。
それならば、今やりたいことをやるべき」そう考えるようになりました。
仕事を辞める直前、四六時中感じる恐怖感が、
ヨガをやっている時だけは消えていたのを思い出し、
ヨガについてもっと知りたいと思って、
ヨガインスタラクターの養成講座を受けることにしました。
そしてそのままインストラクターの道へ。

脱ステロイドをはじめる

母がなぜ鬱病になったのか、そしてなぜ治らなかったのかを知りたいと思い、
代替医療のセミナーを受けることに。
その中で薬が体に及ぼす影響、薬は治すためのものではないことを知り、
36年間塗り続けていたステロイドの軟膏を塗るのを辞めました。

乳がんになる

祖母が亡くなった直後、胸に痛みを感じ病院で検査を受けた所、
良性のしこりが出来ていると言われました。
その後、痛みは消えましたが徐々にしこりが大きくなっていき、
3年後に再度病院で検査を受けた所、乳がんとの診断。
精密検査の結果はステージ4。

代替医療の知識があったことと、
しこりがある以外は特にこれといって症状がないことから
手術や抗がん剤を使わない治療を選択しようとした所、
家族や友人からその選択を否定され疑問を抱きました。

そして診断を受ける前に抱いていたガン患者のイメージと自分が
あまりにかけ離れていることに気がつきます。

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