aya.ヒストリー

幼少期

超絶お母さんっ子として東京で誕生。
赤ちゃんの頃からアトピー持ち。
いろんなことに興味を持ち本を読んだり、
虫を観察して過ごしたりするのが好きな子でした。

ところが幼稚園に入園すると、
集団行動が全くできないことが判明。
(とにかく時間がかかる、みんなと同じようにする、ができない)


4歳で喘息を発病。
福岡に引っ越してくる9歳まで、何度か入院も経験しました。
学校では友達になかなか馴染めず、
体が弱かったこともあり
母との関係がかなり深くなっていきます。
(もともとお母さんっ子だったし)

母との関係

頑張って友達に好かれようとしても結局いつも1人になってしまう私は、
母以外の人間を信用できなくなっていきました。

そのうち夏休みの宿題のポスターから受験する学校、
果ては就職する会社まで全て母に決めてもらう始末。

気づけば
「あなたは何もできないから私の言うことを聞いておけばいい」と言う母と
「私は何もできないから母の言うことを聞けばいい」という、
異常な母娘関係になっていました。

母との関係性バナー

社会人になって

母との関係は社会人になってからも続き、
反発しながらも結局母に決めてもらう毎日。
33歳の時、
ふとしたことがきっかけで母と喧嘩になり
ハタと気づきました。

「私、このままじゃ
人生をお母さんに乗っ取られる!
とにかく家を出なければ!」


そこで初めて、母に何も相談をせず転職を決めます。
時を同じくして、母が不眠を訴え始めます。

母のうつ病・死

そこから、あっという間に悪化、
うつ病と診断され、入院することに。

転職したばかりで慣れない仕事をしながら、
週に数回母の病院に通う日々。

そこまでして私を支配したいのか
と母に全く寄り添えず、
かといって放っておくわけにもいかず、
一杯一杯で毎日を過ごしていました。

母が退院してちょうど1週間、
いつものように終電で帰宅すると
母は自ら命を絶っていました。

母を失ってから

母を失って初めて、
自分が何をするにも母の基準で
行動していたことに気づきます。

基準を失ったことで、
自分で何も決められなくなった私は
仕事ができなくなり、眠れなくなり、食欲もなくなり
とうとう転職して1年も経たずに
会社を辞めてしまいました。

その頃、祖母も突然脳梗塞で亡くなりました。
自己嫌悪と罪悪感と……
ありとあらゆる負の感情に飲み込まれて
苦しんでいた時、
趣味で続けていたヨガをしている時だけは
負の感情から解放されていることに気づき

ヨガを学び始めます。

同時に、未だ治らないアトピーのことや、
母のうつ病についても知りたいと思い、
代替医療を学び始めます。

乳がんになる

母の死から立ち直り、
さあ、これからは自分の人生を生きようと思った矢先、
乳がんステージ4との診断。

一瞬頭が真っ白になりました。
でもフと
「ガン患者になる前となった後の私、

何も変わらないや。
なんなら自分をちゃんと知る前の方が

しんどかったな」
と思ったんです。
私は変わらず元気だということに気がついて
病気に振り回されずに
生きることを決意します。

現在〜活動の動機〜

病気だろうがそうじゃなかろうが私は私。
自分を知って、

ありのままの自分を受け入れて生きることが、
私の思う幸せな生き方。


それをただ伝えたくて、
YouTubeを始めたり
ブログを書いたりしながら、
ヨガインストラクターを続けていました。

そうやって発信していくうち、
以前の私と同じように、
自分のことなのに分からず悩んでいる方から
メッセージを頂くようになりました。

ああ、私だけじゃなかったんだ……
と思った時、
私の経験が役に立つのならそれを仕事にしたい!
と思いはじめるようになり、
「自分を知るワーク」として
いろんなサービスを開始しました。


もちろん
みんなに当てはまるわけではないと承知です。

でも1人でも
「自分を知り自分の扱い方がわかり
幸せになる人が増えてくれたらいいな」

と思いながら、今日も活動しています。