ガンって、病気って、生きるって……〜3/1しか伝えられなかった話(2)〜


どーも、こんにちは!
アトピーで乳がんだけど
元気にヨガインストラクターしている
aya.です!


初めてのスピーチ(?)で、頭真っ白に
ぶっ飛んでしまい、不完全燃焼だったので、
リベンジ記事を書いています。


今日は前回の続きです。

病気は、お医者さんに治してもらうもの?!


ここまで、ガンについての
「作られたイメージ」について書いてきましたが、
ガンに限らず、そもそも病気との向き合い方に対しても
「作られた常識」があるような気がします。


病気は一人一人違うはず

日本には、国民皆保険という制度があります。


これのおかげで、最低限の医療を
保証されているわけですが、その一方で、医療が
極端にマニュアル化され、機械的になっている気がします。


育ってきた環境、両親からもらった遺伝子、
食べてきたもの、生活習慣、体質……など、
全く同じ人間は存在しません。


土壌が違えば、そこで育つ作物も
変わるように、病気の出方も人によって違うはずです。
つまり、治療もその人によって変わるはず。


でも、現代では、同じ病気であれば
一律にほぼ同じ治療が行われます。

聴診器の写真


そもそも、その人の背景を知って、
その人に合わせた治療をしようと思ったら、
問診に相当時間がかかるはずです。


でも、実際、問診って、主訴の確認くらいで
ほとんど時間はかけられていない気がします


もちろん、ちゃんと問診に時間をかける
お医者様や、治療家さんもいらっしゃいます。


でも、いわゆる一般的な病院と言われる所の
医師と患者の会話の時間は
必要最低限というところが
ほとんどじゃないでしょうか。


たくさんの患者さんを少ない医師で
診なければいけないという現状では
スピード、効率を重視しせざるを
得ないのかもしれません。

患者は医師に治してもらおうとし、医師は患者を治してあげようとする


そして、患者側も、自分の体のことを
考えることを放棄してしまって
早く症状を消してくれるのが
いい病院、医師だと
思ってしまっている気がします。


その結果、今のような機械的な
医療が広がってしまったのだと思います。


それは、私自身が、まさに考えることを
放棄して、早く症状を消してもらうことしか
考えていない患者だったからこそ、そう思うんです。

青い手袋をした白衣の人物が両手いっぱいに薬を持っているところ


私が代替医療を勉強しようと思ったきっかけは
真面目に薬を飲んで、治療を受けた母のうつ病も、
生まれてからずっとステロイドを塗り続けている
私のアトピーも治らなかったから。


それまでは、症状が出たら病院に行く、薬を使うことを
当たり前のようにやっていて、疑問すら抱かなかったけど、
私はステロイドがだんだん効かなくなってきて、
母は治ることなく亡くなってしまった。


そこで初めて、病院の治療とは、薬とはなんなのか、
治るとはどういうことなのか、
人の体や心はどういう仕組みで動いているのか……

そういうことを考えないことが
当たり前になっている
常識に疑問を持ったんです。


代替医療を学んでみて初めて、
自分の病気を治すのは、病院でも、薬でも
医師でもなく、自分自身なんだと
気がつきました。


なぜなら、自分がどうやって生きてきたかを
一番知っているのは自分だから。


そして、今、自分の体の状態がどうなのかを
感じることができるのは自分だけだからです。


病気という相手と向き合うボクサーは患者本人。
病院や医師はそれをサポートする、
セコンドのような存在だと私は思うんです。

ボクサーとセコンドの写真


でも現状は、セコンドは、ボクサーの
特性や弱点を全く知らず、
ボクサーの方も病気という相手を
目の前にしながら、セコンドの
指示をただ待っているだけ……。


これでは、とても治るとは思えない……。

まるで、ベルトコンベアーに乗せられて流されていくよう


私は、結局、ガンの診断を受けた初めの
病院で精密検査を受けたのですが、
先生の説明は、とても難しく、
すごいスピードで、説明って言うより
一方的に決定事項を告げられているだけという
印象でした。


決めるのは自分(先生)だから、
患者やその家族が病状を
理解する必要はないって印象を受けました。


私は、西洋医学と並行して、
代替医療もしていくつもりでしたが、
この先生に、そんなこと言っても理解して
もらえないだろうな……と思ったので、
特にそのことは伝えませんでした。


ですが、説明が難しすぎて、
自分で、代替医療の先生に病状を
伝えられる自信がなかったので、
CTやMRIの画像をもらえないか
聞いてみたのですが……

乳がんのレントゲンを見ている医師


「うちでは、そういうサービスは
やってないから」


と言われ、カルテの写しが欲しいと
伝えた時も


「そうなると、
カルテ開示請求してもらわなきゃいけなくて
手続きが複雑になるんだよ。それに、
カルテ見たってどうせわかんないでしょ」


と……。それでも開示請求すればよかったのですが、
押し切れませんでした……(ヘタレ)


質問すれば、それには答えてくれるんだけど、
寄り添ってはくれないので、
会話ができない感じ。


先ほども書いたように、そもそも
患者に選択権がある感じではありませんでした。


私が抗がん剤を使うことを渋ると

「あなたがどうしても抗がん剤、
使いたくないっていうなら
ホルモン治療してもいいけど、
効かないよ」

医師の言うことを聞かないのは
あなたのわがままだよって
言われているような気分になりました。

病気になったら医師の言うことを聞くのが当たり前という常識

そして、それは先生だけでなく、
私の周りの人たちの大半もそうでした。


「予防のためだったらわかるけど、
もうガンになってしまったのに、
代替医療なんて言ってる場合じゃない」


「病院の先生の言う通り、抗がん剤を使って
手術をするしかない」


「髪が抜けるのが嫌とか、手術が嫌とか
命とどっちが大切なの?もっと命を
大事にしなきゃ」


言っている本人たちは、全く悪気はないんです。
むしろ、私のためを思って言ってくれた言葉だと思います。


でも、私はこう言った言葉に、本当に
深く傷つきました。

頭を抱えて悩む男性の写真


実際に治療をするのは私で、
副作用に耐えるのも私。


「あなたのためを思って」と、言葉を
ぶつけてくる人たちは、
その辛さを代わってくれるわけでは
ないんです。


それに、私は、むやみやたらに抗がん剤や
手術を否定しているわけではなく、
それを使うことの意味も考えて、

そして、これから先も自分の人生を
生きていくために、抗がん剤や手術を
したくないと思ったんです。


考え方が違うのは当たり前で、
もし、その人がガンになった時は、
抗がん剤を使えばいいし、手術もすればいい。


その人の人生であり、その人の選択だから。


でも、これは、私の人生であり、
私の選択。決めるのは私です。

死は必ずやってくる。それまでどう生きたい?


前回も書きましたが、
母と祖母を立て続けに亡くした時、

人はいつか必ず、亡くなること、
そしてその時がきたら、
本当にあっけなく
亡くなってしまうということを
思い知らされました。


その経験から、いつくるかわからない死を
怯えながら生きるよりも
今生きている時間を精一杯生きたいと
思うようになりました。


そう考えると、ガンかどうかって
そんなに大した問題じゃないなって
思うようになったんです。


だって、ガンだからできないことって……
別にないんですよ。


ガンだろうが、そうじゃなかろうが、
やりたいのならばやればいい。


もちろん、キツイのに、それを我慢するのは
本末転倒です。


やりたいことをやるっていうことは同時に
やりたくないことはやらないってことでも
あると思うんです。

黒人の掌に白いペンでNOと書かれた写真


っていうか、まず、やりたくないことを
やめないと、やりたいことって
見えてこないのです……(経験上)

一人一人が心から自律した世界


とはいえ、作られた常識や
イメージに囚われている人の方が
圧倒的に多いので、

やりたくないことをやらず、
やりたいことをやるって
まあまあ難しいです。


私みたいに、
「そんなの、わがままだ」って
言われてしまうからです。


難しいんだけど、それでも、
お互いの違いを、善悪ではなく、
ただの違いとして捉えられるようになって

誰にも何にも忖度なく、自由に
自分の選択ができる世の中になれば
幸せな人が増えるんじゃないかなって
思います。


そして、自由に選択するっていうことは、
自分の選択に責任を持つっていうこと。


つまり、一人一人の心が
自律する必要があると思うんです。

転んだ男の子が立ち上がるのを手助けしている女の子


で、そのためには、やっぱり
自分がやりたくないことはやめて
やりたいことをして生きることが
必須だと思うんです。


卵が先か、鶏が先かじゃないけど、
全てのことって繋がっていて、
影響し合っているから、

これだけやればO.Kなんて
お手軽なものじゃなくって
全てを同時進行で繰り返し繰り返し
やっていかないといけないんだろうなあと
私は思っています。


生きるって大変だけど、だからこそ面白い


そう考えると、生きるってホント大変。
でもだからこそ、面白いのかもしれませんよね。


それに、どんなに大変でも、いつか終わりが来て
終わりが来れば解放される(たぶん)のであれば
まあいっかと私は思っています。


これから、どんなことが起こるかわかりませんが、
終わりの日が来た時に
「うん、まあ悪くない人生だったな」
と思えるよう、精一杯生きていこうと思います。


以上です!最後まで読んでくださって
ありがとうございました。