【乳がんステージ4】抗がん剤、そして手術と言われたけど、その選択をしなかった私の一年後

どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!


アトピー脱ステ4年目の話の次は、乳がんの話。

【アトピー歴39年】私の脱ステ4年目 | Pop Sick Life

どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です! 私は物心ついた頃からアトピーでした。赤ちゃんの時の写真は顔が傷だらけで、掻かないように手に手袋をはめられています。おそらくステロイドは1歳になる前から使用していたと思います。 …



私は2018年11月に乳がんと診断されてから1年が経過しました。脱ステの話と同じく、自分の記録用もかねて、症状の経過を書いていこうと思います。(写真ありです)


乳がんと診断されてから精密検査が終わるまでの流れはnoteに書いていますので、よかったらそちらもご覧ください。


私が乳がんになるまで(note
その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7
その8
その9
最終回

ざっと経緯を説明


詳しくはnoteをご覧いただくとして、私が乳がんになってから現在までの経緯をざっと書いていきます。

・2015年8月、左胸にしこりを発見


ちょうど、母が亡くなって祖母が亡くなって家中ひっくり返して片付けていた時期。何かの拍子で左胸に手が当たった時にジーンとするような痛みが。


右胸にエコーにも映らないくらいの小さい小さいしこりがあったこともあり、25歳くらいから、だいたい一年に一回くらいのペースで検診を受けていました。


自覚症状があって受診したのはこの時が初めてでした。


2ページ目、平成27年8月6日参照



先生の字が達筆すぎて(笑)読めん。多分、診断の所→「両側繊維腺腫」マンモグラフィー→「良性石灰化」って書いてあるんだと思う(汗)つまり、この時はガンではないという診断を受けました。

・2018年11月、乳がんステージ4と診断を受ける。


良性という診断を受けてから、

・症状が無くなった。
・むやみに検診を受けるリスク

などを考えて、3年間病院には行きませんでした。ただ、症状はなかったんだけど、だんだんと大きくなってはきていました。とりあえず、これは何者なのか調べておこうと久しぶりに検診を受けました。


2ページ目2018年11月5日参照


1.4センチだったしこりは約5センチまで成長していて、さらに悪性になっていました。


さて、こういうこと書くと、

「3年もほっとくからだよ!」「なんでちゃんと定期的に検査しなかったの!」

っていう声が聞こえてきそうですけど……っていうか実際何人もに言われたけど(笑)


わかりますわかります。

だけど、行かなかったのは自分で行かなくても大丈夫な気がしていたからで(いや、だからそれが怒られるんだよ(笑)もっというなら結果的には、これでよかったと思っています。


Twitterでも呟いたんですけど、私がもし、言われた通り、毎年定期的に検診に行っていたら、もっと早い時点でガンという診断を受けていたわけです。


でもそうしたら、すぐに手術になっていたと思うんですね。良性と診断された時点で1.4センチありますから。


そうしたら、その後おそらく、抗がん剤治療もしていただろうから、左胸は一部ないしは全てなくなり、また生えてくるとはいえ、一旦髪も全て抜け、ヨガインストラクターも続けられていたかわかりません。


つまり、今の私はないのですよ。



・2018年12月ホルモン治療開始


私は抗がん剤と手術は受けたくないと思っていたのですが、精密検査の結果を受けて、先生から
提示された治療は半年間の抗がん剤治療ののち手術。


私のガンの性質上、ホルモン治療も選択できましたが、先生曰く

「どうしてもっていうならホルモン治療にしてもいいけど効かないよ」

とのこと。そこまで言われてしまうと、それでもいいからホルモン治療を……とはなかなか言いづらい雰囲気でした。


肺に転移している疑いがあり、検査のためにどのみち呼吸器科のある病院に行かなかきゃいけなかったので、ついでにセカンドオピニオンを受けました。


セカンドオピニオンを受けた病院の先生は私の希望と精密検査の結果を踏まえて、まずはホルモン治療をとのことでした。


どちらの病院の先生も、とてもいい先生だったのですが、初めの病院の先生は、とにかくスピード重視という感じ。


私は、今の生活の質を極力落とさず治療したかったので、私の希望を優先してくれるセカンドオピニオンをした病院に転院することにしました。

・2018年12月ホルモン治療、それと並行して
代替医療も開始


ホルモン治療というのは、注射で生理を止めて、毎日一回一錠ホルモン剤を飲むというもの。注射は3ヶ月に一回おなかに打ちます。


基本、治療はこれだけなので、通院も3ヶ月に一回。一時は抗がん剤を使うことも覚悟していたので、かなり拍子抜けでした。


副作用もほとんどなく治療を始める前と後で変わったのは生理が来ないことだけ。


とはいえ、生理が止まるほどの薬をおなかに注射するわけですから、体に影響がないわけがないので、薬に対してと、ガンに対してと、アトピーに対してトリプルで代替医療も始めました。


ホメオパシーのレメディとフラワーエッセンス、ごしんじょう療法をやっています。


ごしんじょう療法は福岡で受けられるので普段は福岡で、3ヶ月に一回病院へ行くのに合わせて本院(?)のある東京に受けに行っています。


代替医療に関しては、受け入れられない人もいると思いますし、私の知識ではきちんとした解説はできないので内容については詳しく触れるのはやめておきます。


私の弟も、私が代替医療を受けることはあまりよく思っていませんが、病院の治療を受けることを条件に黙認してくれているようです。

・2018年6月、1.5センチ減


治療を始めて半年、4.8センチあったしこりは3.3センチになりました。効かないと言われていたホルモン治療で1.5センチ小さくなりました。


数字だけ見ると、そんなに小さくなっていないような感じがするかもしれませんが、本人の実感としては、だいぶ小さくなった感じがします。


初めの頃は胸よりもせり出している感じでボタンを止めるときに邪魔になる程だったんですが、今は全く気になりません。


もともと症状もないので、お風呂に入る時に目に入ると、思い出すくらいで日常ではあることを忘れてしまっています。

百聞は一見に如かず、実際に見てみましょう


と、言う訳で写真を載せていきたいと思います。
乳がん手帳に書いてあったように、しこりは左胸の端にあります。


ちょっと場所が場所なので(笑)かなりトリミングしているのとちょっとピンボケなんですが、大体の雰囲気を感じてもらえればいいかなと思います。

2019年11月27日



照明が違ったり、トリミングの範囲が違ったりで、見にくいですが(汗)でもまあ、一番初めの写真と最後の写真を比べたら違いは明らかだと思います

病気じゃない時に考えて欲しい


先生にホルモン剤は効かないよと言われたけど、抗がん剤を使いたくないという自分の思いを優先し、生活の質を全く落とさず、しこりは小さくなりました。


もちろん、まだ消失した訳ではないし、これからどうなっていくかわかりません。目標は抗がん剤、手術はしないままガンが消失または共存をしていくこと。


私が、ガンになっても不安や恐怖に押しつぶされずに、自分のやりたいこと、やりたくないことを見失わずに済んだのは、病気じゃない時に母や祖母の死を体験したことで、生死について考えるという経験をしたこと、それがきっかけで人間の体や病気について学んだことが大きかったと思います。


不安や恐怖を感じている時って落ち着いて考えられないし、冷静な判断は下せません。


何も知らない状態で、ゼロから自分の病気のことを調べるというのはとても辛いことです。調べていく過程でショッキングな症例を目にしたり、死を意識することは避けられないからです。


考えるのを放棄して先生に言われるがままの治療を選べば、その時の辛さからは逃れられます。


だけど、選択を人に委ねてしまうと治療が辛いと思った時に、「あの時、別の治療を選んでいれば……」って後悔してしまう気がするんです。


私はガンを治療しながら脱ステもしています。ちょうど乳がんと診断された頃はアトピーのせいで全く眠れていませんでした。


むちゃくちゃきつかったし、乳がんとアトピー、両方抱えていくのは無理かもしれないと思った時期もありました。


だけど、「脱ステしなければよかった」とは思わなかったんです。ただ単に、「脱ステ」という選択をして「今、眠れない」という現実がある。

・ガンに集中するため、睡眠をとるか
・ガンとアトピーどちらにも向き合える方法を探すか

という新たな選択をするだけ。


後悔ってずっと続きますよね。過去の変えられないことを悔やむわけだから。選択は選んでしまえばそこで終わり。


あとは選んだことをやるだけです。自分で納得して選んだことであれば、何が起こっても人のせいにはできないので、また新たに選択するしかありません。


すごくシンプル。


病気と向き合う時に余計なことを考えなくていいっていうのはとても大きいです。
だからこそ、いざという時に自分で冷静な判断が下せるよう、普段から考えてみて欲しいんです。

病気=我慢の図式を壊したい


私が乳がんになった時にすごく感じたのが治るためには辛いことも耐え忍ばなければっていう暗黙の空気。


一時は私もそれに押しつぶされそうになりましたが、私の場合、一人で暮らしていたことが功を奏して、すぐにそこから脱することができました。


もしも家族が近くにいて、四六時中責められ続けたら、それは難しかったかもしれません。私は病気のためにしたいことをあきらめたくないし、したくないことはしたくないです。


多分、私と同じ思いの人ってたくさんいると思うけど、なかなかその思いを口にできないのが現実だと思います。


私は結婚もしていないし、子供もいない。家族とも離れて暮らしていて親戚付き合いもほぼありません。つまり、結構好きなようにできちゃうってこと。


私が好きなように生きて、抗がん剤、手術抜きでガン消失か共存という目標を達成できたら、

病気=我慢

の図式が成り立たないことを証明できるんじゃないかと思うんです。


まあ、それで何かが変わる訳でもないかもしれないけれど、でも、もしかしたら変わるかもしれない。そんなことを思いながら、この記事を書きました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!