最近の星読みで気づいたこと。家族だって合わないことはあるし、あっていいと思う


こんにちは。Pop Sick Life
星読みセルフマニュアルサポーターaya.です。


最近、子供さんの星を読んで欲しいという依頼を
受けることが増えてきました。


その中で思うのが、

子供との接し方がわからない、理解できない

ということに対して親御さんは少なからず、
罪悪感を感じているということ。


私は結婚もしていないし、出産経験もないし、
子供もいない。


だから親の気持ちはわからない。


さらにいうと、両親は離婚しているし、
母とは共依存というちょっと歪んだ関係性だったし、
父とは疎遠


唯一弟とは、いい関係を築けている
(と私は思っている)けれど、姉弟というより、
友達と言った方がしっくりくる感じ。


なので、「家族団欒」とか、
いわゆる「幸せな家族」っていうものが
どういう物なのかもわかりません。


でも、それが不幸だと思ったこともないし、
ましてや、それが親のせいだと思ったことも
ありません。


もしかしたら、こんな私だからこそ、
伝えられることがあるかも!
(たぶん……)と思い、これを書いています。



家族とはこうあるべきに縛られる


とはいえ、父や母は、なんとか「幸せな家族」を
作ろうと頑張ってくれていたとは思います。


でもね、無理だったみたい(汗)


だってさ、家族と言ったって、別々の人間


合う合わないって絶対あると思うんですよ。


他人同士なら、関わり合わないようにすれば
済むことだけど、家族だとそうもいかないし、

なんとなく、「合わない」ってことに
罪悪感を感じてしまう。


家族とはこうあるべき」という常識が、
本来「」である繋がりを
」にしてしまっている気がしてなりません。


「絆」がいきすぎれば「鎖」になる


と、ここまで書いて、
ふと気になって調べてみたら、
そもそも「」という字自体に

「手枷、足枷、人の心や行動の自由を束縛すること

という意味があるようです。


私たちが普段「絆」という時は

「心の繋がり、信頼関係」

というような意味で使いますが、
ここからも「絆」がいきすぎれば、

人を縛るものになってしまうということが
分かりますよね。


歩み寄りは必要だけど……


家族に限らず、人と人が関わり合えば、
ぶつかることがあります。


そういう時に歩み寄る姿勢は必要だと思います。

転んだ男の子が立ち上がるのを手助けしている女の子


でも、完全に相手のことを理解することは、
不可能だし、たとえ家族であっても、
どうしても「合わない」ことはあると思うんです。

家族であっても、それぞれ別の人間


兄弟が同じ環境で育っても、違う性格になるように、
それぞれ持って生まれてくる性質は違うわけです。


確かに子供は親から生まれるけれど、
親の分身ではなく、別の人間です。


そこを忘れてはいけないと思うんです。


親と子が別の人間であるならば、
子供にふりかかった試練は、あくまで子供の問題
決して親のせいではないんです。


私は小児喘息だったのですが、
母も喘息持ちだったため、自分のせいで

私が喘息になったと、
ずいぶん自分を責めていました。


でも、それって、子供にとって
すごく悲しいことなんですよね。


なぜなら、喘息で生まれたが故に、
大好きなお母さんが自分を責めているから。


私のせいで、お母さんは自分を責めているんだと、
子供も自分を責めてしまうんです。


子供からしたら、悲しそうなお母さんをみるより、
楽しそうなお母さんを見る方が嬉しいですよね。

家族=最高のチーム


その人の試練はその人にしか乗り越えられない。


側にいてサポートしてあげることはできても
代わりにやってあげることはできない
んですよね。


それに、試練というのは、その時は確かに辛いけれど
それを乗り越えることで成長することができる。


見ようによっては人生のギフトだと思うんです。


少なくとも私は自分の人生を振り返って
そう思います。

夕日を背に4人が手を繋いだ写真


家族だからわかり合わなければいけない、
一緒にいなければいけないという呪縛
から解き放たれて、

一人一人が自分の人生を楽しめるようになれば、
その家族は最高の「チーム」になれると思います。


そんな最高の「チーム」を一つでも多く作れるよう、
今日も星を読んでいます。