ミニマリストに憧れる私が語る、遺品整理のススメ


どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!

あけましておめでとうございます!

年越しそばも、おせちも、お雑煮もなく、大晦日はラーメン、年明けは焼き芋という、年の瀬感も正月感もない年末年始になりました(笑)


私がミニマリストに憧れているのは、なんども書いているのですが、ちょうどよく弟も身軽な生活にシフトしようとしているようで、この帰省のタイミングで、年末年始は家の片付けを再開しようかなと考えています。


以前、こちらの記事で紹介しましたが

25年家族で住んでいた家をたった一人で片付けた話 | Pop Sick Life

どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!前回、どん底メンタル行動編で、25年暮らした実家を一人で片付けた話を書いたのですが、一言で片付けるには、あまりに大変だったので、ちょっと詳しく書いていこうと思います。っていうか書かせてください(笑) …


私は2014年に母が亡くなった時、遺品整理も兼ねて大掛かりな片付けをしました。


ただ、実家ということもあり、とにかくモノが多いし、大物も多数ある状態だったので、一度で全て片付けることはできませんでした。


なので、機会を見つけては、ちょこちょこと処分していっているのですが、実家の片付けとか遺品整理とかって、一人暮らしの自分の家を片付けるのとは違ってちょっと厄介じゃないですか?


それは「家族の思い出」が絡んでくるからじゃないかと思っています。


そこで、今回は私が遺品整理&実家の片付けで心がけていることを書いていきたいと思っています。

遺品整理をする時の心構え



1.遺品(モノ)は故人自身ではない


当たり前の話ですが、遺品(モノ)と故人自身は別のものです。残された家族からすると、思い出のモノでも、持ち主がいなくなった時点で、そのモノは役目を終えます。


残された人たちが、そのモノを使い続けるなら別ですが、そうでないなら処分した方がいいと私は思います。持ち主をなくしたモノが、使われもせず、そこにあるって何だか悲しくなりませんか?


亡くなるってことは、人生を卒業して次のステージに行くことなんじゃないかと私は思っています。


死って悲しいことだと思いがちだけど、亡くなった本人にとっては、色々なしがらみから解放され自由になることなんじゃないかと思うんですよね。


だから、故人のモノを処分するってことで、残された人も故人から卒業しないといけないんじゃないかと私は思っています。

2.大事なのは、今、生きている人


故人が人生を卒業しても、私たちは、まだまだ人生を生きていかなければいけません。


だから、「今生きている自分たちが暮らしやすいように」ということを一番に考えるべきだと思うんです。


さっきも言った通り、モノは、あくまでモノであって故人本人ではありません。


生前大事にしていたモノであっても、もう故人はそれを見ることも触ることもできない。処分しようがしまいが、故人には何の影響もないわけです。


故人のことを想うと捨てられない……と、ついつい捨てられない理由を故人のせいにしてしまいがちですが、結局自分のために残しちゃっているんですよね。


自分が故人から卒業できていないから捨てられないだけなんです。


つまり、捨てるか捨てないかは自分次第ってこと。

私が遺品整理を経験して決めたこと



1.把握できないものは置かない


初めに挙げた過去記事の中にも書いていたのですが、私の母は整理整頓がとても上手な人だったので、少ないスペースにたくさんのモノをしまいこんでいました。

その技術は凄まじく、引き出しから出しても出しても服が出てきた時には、メリーポピンズの魔法のカバンを思い出しました……


ただ、メリーポピンズと違って、母はしまったことに満足して、引き出しの下の方に追いやられたモノの存在はすっかり忘れてしまっていたんじゃないかと思います。


基本的に人って、目に触れないモノの存在って忘れてしまうんじゃないかと思うんですよね……。
少なくとも私はそうです。


昔の家具って背の高いものが多くて、一番上にしまうと見えないし、取り出す時には台に乗らないと届かない。それだと私は絶対忘れちゃうし、使わなくなる。


なので一番上に入れていたものは、処分するか下に降ろしてみて使うかどうかを判断しました。


ゆくゆくは背の高い家具は処分して背の低いものに変えたいのですが、処分するのも一苦労なので、とりあえず今はそのまま使っています。

2.自分にとってのモノの価値を考える


私の母は器が好きで、有田の陶器市にもよく行っていたし、それなりのお値段する食器をコレクションしていました。


母が大事にしていたのも知っているし、安物ではないことも知っているので処分するのに、かなり悩みました。


着物の時もかなり悩んだんですが、着物の場合、私が絶対着ないことがわかっていたので、悩みつつも手放すことができたんですが、食器の場合は使おうと思えば使えるんですよね。


ただ、私の趣味とは合わないので使っていてもワクワクすることもない。何なら無印とかのシンプルな、お皿の方がいい。


母にとっては価値のある高いお皿も、私にはその価値を感じられない。しかも、お皿が大量にあることで、背の高い食器戸棚が処分できない。


何とか罪悪感を減らそうと、メルカリで売ろうとしたり業者に売ろうとしたりしたんですが、食器ってよっぽどレアなものじゃない限り売れない。


一度使ってしまったものだと引き取ってさえもらえないようで、あきらめて少しずつ処分し始めました。


思い切って処分し始めると、あの躊躇していた期間は何だったんだろうというくらいスッキリするし、それを味わってしまうと、もう捨てずにはいられない(笑)

今、それがあることで、自分は幸せなのか?


色々と書きましたが、結局はここだと思います。


私の場合は、母から卒業することが、これから生きていく上で最重要事項だと思ったので、そこに重点をおいて片付けましたが、別に無理に処分しなくても、そのモノがあることで自分が幸せになれるのなら残しておいてもいいと思います。


ただ、それが本当に「幸せ」なのか、過去への「執着」なのかは、しっかり見極める必要があるとは思います。


生きるってことは、時間の流れとともに動いていくことなので、過去に「執着」して停滞してしまうと、そこに自分だけが取り残されてしまうんじゃないかと思うんです。


だから、迷った時は「今、それがあって自分は幸せなのか?」を自問するようにしています。


今、ココにいる自分を見失わなければ、大概のことは乗り越えていけます。
人間って弱そうでいて、案外強い生き物だと私は思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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