生きるって、0か100かじゃない。ヨガと占星術から学んだ、生きるためのバランス感覚
こんにちは。Pop Sick Life
セルフマニュアルサポーターaya.です。
私はだいぶ長い間、
どうやったら間違えないか、
どうやったら怒られないかを
考えて生きてきました。

でも、そう考えれば考えるほど、失敗ばっかり。
生きていくって、私には難易度が高すぎると
途方に暮れていました。
でも34歳で母を亡くして、
それまで基準としていたものが
一旦全部なくなった時から、
その考え方が少しずつ変わっていきました。
もくじ
全てを0か100かで見ていた
それまでの私は、「正解」か「間違い」か、
いわゆる0か100かで世の中を見ていました。
学校でもそういう風に教えられたし、
何より、母がそうやって生きていたから。
でも実は、みんなの言う「正解」と「間違い」の
境界線がよくわからなかったんです。

わからないので、
「これで合ってるかな?」「間違ってないかな?」
と、いつも人の顔色を伺っていました。
だから、周りに馴染めなかったし、母にも
「あんたはどうせ、何もできないんだから」
と言われ続けてきました。
でも、正しく生きているはずの母は
全然幸せそうに見えず、
むしろいつも苦しそうでした。
正しいはずの母がなぜ、苦しそうなのか?
母が生きている間は、考えもしなかったけど、
亡くなったあと、
なぜ「正解」を知っているはずの母が
あんなに苦しんでいたのか
疑問に思うようになりました。
そして、同時に、それまで信じていた常識も
自分という人間像もガラガラと崩れてしまった私は、
それらを新しく作り直す必要に迫られていました。

34年かけて作り上げられたものを
0から作り直すことは簡単ではなかったし
不安で不安で押しつぶされそうでしたが、
他の選択肢はなかったので、
とにかく必死に前に進んだのを覚えています。
でも、そのおかげで、縛られていた常識や
思い込みから自由になれたんだと思います。
ヨガは「正解」も「間違い」もないことを教えてくれた
ヨガっていうのは、
一応、アーサナ(ポーズ)の形はあるけど、
そこに「正解」とか「間違い」とかはないんです。
なぜなら、ヨガという行為は
自分と向き合うために行うものだからです。

体というのは一人一人違って、同じ人であっても
日によってコンディションが変わるもの。
その違いをみていくものなので、
そこにジャッジという概念は存在しません。
それを知った時、
「このままの私でいいんだ」
って許されたような気持ちになったのを
覚えています。
占星術はバランスを教えてくれた
占星術では、もっと客観的にそれを感じました。
星の配置を示した円の中に、
人間の要素が全て詰まっていて、
それらはすべて「違う」けれど、
どれも素晴らしい。
そこには「正解」も「間違い」もなくて、
ただ、どんなバランスで
その人が成り立っているかだけなんですよね。

そもそも
「正解」と「間違い」を判断するのであれば、
「全ての条件を同じ」にして
比べなければいけません。
でも「全て同じという条件」を満たした人間って
存在しませんよね。
と、いうことは本当の意味で
「正解」「間違い」の判断をするのは
不可能だと思うんです。
もちろん、だからといって、犯罪を犯したり、
人を傷つけてもいいというわけではありませんが、
少なくとも0か100かで
全て判断できるわけではないということを
頭に入れておく必要はあると思います。

私たちがやらなきゃいけないことは、
ジャッジをすることじゃなく、
いかにうまくバランスをとるか?
ということだと思うんです。
そういう風にできていることを受け入れる
光があれば必ず影ができるように、
物事には必ず表と裏があります。
これはもう、どちらがいい悪いではなく、
世の中の理として
「そういう風にできている」んです。
光だけを追い求めようとすればするほど、
影は濃くなる。

だから、どっちもあることを受け入れて、
どうバランスをとるかを考える。
そのバランス感覚を養うことが
生きるってことなんじゃないかなって思います。
私はヨガと占星術という一見全く別のものから、
同じ答えをもらいました。
そう考えると、結局全ては繋がっていて、
突き詰めていくと同じ答えに辿り着くんだなーって
改めて実感する、今日この頃です。