生きることを突き詰めると


こんにちは。Pop Sick Life
セルフマニュアルサポーターaya.です。


月一回のヨーガ哲学の講座を
今月も受けてきましたよ!


ヨーガ哲学は、もはや私の中で、生きるための
バイブル
みたいになっています。


難しい言い回しではありますが、
言っていることはとてもシンプル。


ほんと、生きとし生けるものは
みんなヨーガ哲学学べばいいのに!って思って、

これまでもYouTubeとかブログとかで
発信してきましたが……。


↓動画はこちら↓


今回は、かなり難しかった


今回はね、本当に難しかった。


この講座はヨーガ・スートラという
ヨーガ哲学のことが書かれた本を
みんなで読みながら、

理解を深めていくという形式なのですが、
一つ目の文章から、ちんぷんかんぷんでした……。


これまで、難しいとはいえ、
なんとなくは意味を理解できていたのに、
今回は全く……。


今日、寝ちゃうかもしれない……という
不安がよぎりました。


イメージするのが難しかった


で、なぜ急に、ちんぷんかんぷんに
なっちゃったのかな~と考えてみたところ、

扱っているテーマが
三昧(悟りを開くみたいな状態)に達した後のこと
だったからじゃないかなという結論に達しました。


人生を山登りに例えるのなら、
私たちは山頂を目指して日々精進しているわけです。


でも、山頂までの道は、かなり険しく、
生きているうちに到達できる人はほんのひと握り。


もちろん、私なんて、まだまだ山頂が
見えてすら来てないし、
周りにもそういう人はいません。


今回のテーマは言うなれば、
山頂に達しただけで満足するのではなく、

達した後、そこにい続けるにはどうしたらいいか?
っていう話だったわけです。


山頂を見たこともない私からすると、
イメージが全くわかない……。



余談ですが、私は何かを理解する時に、
自分が作り出したイメージ(映像)が必要
で、

これができないと、文章は読めるけど、
内容が全く理解できない
という性質があります。


なので、説明書の類は
ほとんど理解できないのですが、
今回のスートラも、初めはこれに近い感じでした。


でも、講師の綾子さんの説明を聞いて
イメージを作ることができたので
なんとか理解できました。


とはいえ、理解できたのは、きっと、
本質のさわりの部分くらいだと思いますが……。


それを踏まえて、今から書いていくことを
読んでいただけるとありがたいです。


展開した思考を一つずつ捨てていく


私たちが生きていて苦しむのは、
今、ここに集中できないから
です。


例えば、目の前にペットボトルの水があるとします。


自分の意識が、「今、ここ」にいれば、

「ペットボトルの水がある」

ただそれだけです。


でも、私たちは、ペットボトルの
天然水というラベルを見て


「天然水ってことは、
どっかの川で汲んできたのかな……」

「川といえば、学生の時に
友達と川に遊びにいったっけ」

「そういえば、あの友達とは
仲違いしてしまったな。仲良かったのにな……」


などと、考えを展開させて、
どこか遠くに行ってしまうんです。


ただ、目の前に水があるだけなのに、
仲違いした友達のことを思い出して、
感情を揺さぶられている。



これが苦しみの原因です。


だからヨーガ哲学では

「心の作用を止滅」

させることを目指します。


心の作用を止滅させていくというのは、
どういうことかというと、

思考の展開を一つずつ断ち切っていって
自分とそれ以外の境界線をなくしていく
いうことです。


まずは、「私」「水」があって、

だんだん、「水を見ている私」
という意識がなくなって、
ただそこに「水」がある状態になり……

そのうち「水」という概念もなくなって、
そこで初めて「三昧(悟り)」の状態になり、

最終的には「三昧に至ったという」事実すら
捨ててしまう状態
になる……


……難しいでしょ?


私も書きながら、全く伝わる気がしない(笑)


生きながら死に近づいていく行為?

で、ここからは、今朝、風呂に入っている時に
ふっと思ったことなんですが、


心の作用を止滅させようとすると、
どんどん無に近い状態になっていく
んですよね。


自我がなくなって、境界線がなくなって……。


それって、限りなく死に近いと思いませんか?


生きることを突き詰めていったら、
どんどん死に近づいていく
っていう。


あ、やっぱり生と死って繋がっているんだなって
思いました。

死って恐ろしいものじゃないんじゃないか?


三昧っていうのは、
常に幸福で満ち溢れた状態なんだそうです。


と、いうことは、
死ぬまでどんなに苦しんでいたとしても、

意識がなくなって、命が消えるそのわずかな間って、
全てから解き放たれて、

まさに三昧の状態になる
んじゃないかなって
思ったんです。


もちろん私は死んだことがないので、
実際どうなのかはわからないんですけど。


そう考えると

「死は恐怖ではなくて、解放じゃないか」

と感じる私も感覚も、
あながち間違ってはいないような気がしてきます。


次回はクリスタルボウルの話


前半で、脳みそから
煙が出そうになるくらい考えたところで、

クリスタルボウルの演奏を聴いたのですが、
これがまた、貴重な体験でした。


このまま書くと、すごい量になりそうなので、
とりあえず一旦ここで終わります。

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