【乳がんステージ4】私がガンだけど元気な理由


どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!


人間を人間たらしめているものって何だろう?って考えた時に、それは脳ではないかと思うんです。


脳が発達したからこそ、複雑なことを考えることができるようになり、目覚ましい進化を遂げた。


でも、同時に、複雑なことを考えすぎるが故に、生きることに思い悩むようになった。

猿から人へ進化していく様子


去年は、それを象徴するかのような年だったと思います。


私は、比較的、考えることが苦手な部類なので(笑)それが幸いして、コロナ渦でも乳がんステージ4でも、のほほんとしていられるのですが、


SNSを見ていても、ヨガのレッスンをしていても考えすぎて苦しんでいる人が多いな……という印象があります。


これは、性質(性格)なので、どっちがいいとか悪いとかいう話ではありません。


でも、現代は圧倒的に、考えすぎてしまう人の方が、生きにくい世の中になっていると思います。


思考を自分でコントロールできていれば問題ないのですが、思考に囚われてしまった時、そこからどうやって抜け出すか、というのは現代社会を生き抜いていく上で、必要なスキルだと思います。


最近受けたセミナーで、そのヒントになるようなお話があったので、今日はそれをシェアしてみようと思います。

全ての物事は、電気信号と周波数でしかない


これだけ聞くとなんのこっちゃだと思うのですが……


例えば、目の前にリンゴがあったとして……そのリンゴを認識するということは、


色、匂い、食感という周波数(刺激)を感覚器(目とか鼻とか肌とか)で受け取って、それを電気信号に分解して脳に届け、それを元に、脳で再びリンゴを組み立て直す(再構築する)ということです。


再構築するための材料は、私たちがすでに持っているもの=経験になりますよね。


経験したことのないもの=持っていないもの、なので材料にはできませんからね。


一回分解して、それぞれの脳の中で、それぞれが持っている材料で再構築されるということは……


同じリンゴを見ていたとしても、決して同じようには見えていないということなんです。(作られている材料が違うから)

赤いリンゴの写真


そして、これは、全ての事象に言えることです。


普通とか常識とかって、一見、共通の認識のように考えられがちですが、それぞれが持っている材料(経験)で構築されている以上、主観的なものだと言わざるを得ないですよね。


この話を聞いた時に、それまで何となく、ふわっとしていた「人は、1人1人違う」っていうのが、なるほど〜ってなったんですよね。

わかってあげられなくて大丈夫、それが当たり前


優しくて、考えすぎてしまう人は、相手のことをわかってあげられないことで思い悩みます。


私は、優しくも、考えすぎてしまうこともない人ですが、それでも、母がうつ病になった時、「元気なあんたに、私の気持ちなんかわかるわけがない」と言われて思い悩みました。


でも、母が言う通り、そもそも自分以外の人間の気持ちがわかるわけがないんです。

スクランブル交差点を歩く人々


だって、作られている材料(経験)が違うんだもん。


その時はそれが分からなくて、何とか母を「普通」に戻そうとしてしまいました。


でもその「普通」は私にとっての「普通」であって、母にとっての「普通」ではなかったんですよね。


あの時、私が、母に対してできることは、ただ、母の言葉を否定せずに聞くことだけだったんです。


残念ながらそれがわかったのは、母が亡くなってだいぶ経ってからでしたけど……

自分が信じていることが世界の全てではない


考えすぎの人って「こうするべき」「こうあるべき」に縛られていることが多い気がします。


でも、そう思っているのは自分だけで、実は、そんなものはないんです。


メディアでは、あたかも、そう言うものが存在するように報道されているけど、ないんです。そんなものは。(大事なことは2度いう)

両天秤の写真


私はガンなので、ガンの話をしますけど、一口にガンと言っても、本当に人それぞれなんですよ。


それは自分自身の経験としてもそうだし、本を読んだり、話を聞いたりする中でも実感します。


よくなる人もいれば、よくならない人もいる。


痛い人もいれば、痛くない人もいる。


進行する人もいれば、進行しない人もいる。


抗がん剤が効く人もいれば、効かない人もいる。


本当に人それぞれなんです。


それを一緒くたにして、


ガンは怖いものだ、転移したらもう助からない、標準治療(代替医療)こそが最善の治療だ……


みたいなイメージが作られて、それに患者もその家族も苦しめられている。


そんな気がしてしょうがないんですよね。

善悪の鎖を断ち切る


善悪っていうのは、立場の違いでしかないと私は思っています。


今の自分の立場では「善」であることも、逆の立場に立った途端に「悪」に変わってしまう。

鎖に南京錠がかけられた写真


同じリンゴを見ていても、光が当たる側から見れば赤く見えるけど、反対側から見たら黒く見える。


そして、その赤も黒も見る人の材料(経験)によって変わる。


でもリンゴ自体は、一つしかなくてそれは、変わらない事実です。


だから、善悪に振り回されず、事実を事実として見ること、これがとても大事だと私は思っています。

起こった事実に対して、善悪の判断を下す必要はなくて、どう行動すれば自分にとって最善の結果になるかを考えればいいんです。

辛いことを見ないようにするんじゃなくて視点を変える


とはいえ、簡単なことじゃないですけどね……(汗)


でも、これがわかっているかわかっていないかだけでも、全然辛さが違います。


もちろん、辛さが全くなくなるわけじゃないです。


辛いは辛いですし、その感情を無かったことにすると、後になって何倍にも膨れ上がって襲いかかってくるので(汗)


辛いという感情は素直に感じつつも、それを善悪で判断しないってこと。


起こったこと、感じた感情をありのまま受け取って、さて、じゃあどうする?って考える感じかなー。

ビルの間から空の写真を撮っている人の写真


私は母が亡くなった時、「何で私ばっかりこんな悪いことばかり起こるんだ!」って悲劇のヒロインになってみたり、


ありもしない「常識」や「普通」に振り回されて、「いつまでも立ち直れない私は、間違っているんだ!」って自分で自分を痛めつけたり……


約2年間、もがき苦しみました(汗)


そして、ある時、そんなものはないと気がついた瞬間、一気に楽になりました。


だから、乳がんの宣告を受けた時も、ショックだったけど、「じゃあ、今できることは?」って考えを切り替えた瞬間から元に戻ったし、


去年の12月の検査で「6ミリ腫瘍が大きくなっとるよ」って言われても、ただできることをするだけだなって落ち着いていられるんだと思います。

斜め上から自分を見てみる


こういうのって、急に明日からできるようになるものではありません。


その辺はヨガでいう体の使い方と一緒で、何度も何度もやっていくうちに徐々に変わっていくものです。


ただ、コツみたいなものはあって、イメージは幽体離脱して、斜め上くらいから、自分がやっていることを眺めてみる、みたいな感じです。

高層ビル群の屋上に座っている写真


自分のことって近すぎるが故に、見失いがちなので、自分を外からみるっていう意識はとても大事だと思います。


そうしてみると、起こった事実を善悪抜きにして、「ただ、事実」として受け止めやすいような気が、私はします。


うわ、これ、しんどいわ……ってことが起こった時に、自分から抜け出て斜め上から見てみると、「あれ、案外、そんなにしんどくないかも……」って思えてきたりします。(思えない時もあります)

ぶっちゃけできなくたっていい


これは、私が、2年間の暗黒時代(笑)に、編み出した私なりの方法なので、できなくたって全然いいんです。


きっと人によって合うやり方は違うと思うので。


1番大事なのは、自分が今を幸せに生きることです(なんか最近こればっかり言ってる気がする)

手で作ったハートの中の夕日の写真


そして、自分を幸せにできるのは自分だけってことを忘れないでください。


ちなみに、自分を傷つけるのも自分だけです(これについては、機会があったら書きたいな)


自分が1番幸せになれる道を選んで、ただ、その道を歩いていけばいいだけ。


やり方は何だっていいんですよ。


「普通」や「常識」から自由になって、自分の人生を生きていきましょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!