実は、陰キャは才能だと思う


どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!


世の中には、二元論が溢れていて、人々は、毎日いろんなことを「いい・悪い」に分類しています。


でもこれの厄介なところって、みんな、自分の基準=世間の基準だと思い込んでいるところ。


実は、その基準って一人一人微妙に違っていて、全く同じ基準なんて存在しない。それは、一人一人顔が違って、性格が違うのとおんなじ。


だけど、それを誰も教えてくれないどころか、学校では、むしろ二元論こそ正しいと教えられちゃうので、それを信じてしまうのはしょうがないんだけど。


本当は、「いい・悪い」なんて、たった二つに分けられるものじゃないんだけど、無理に二つに分類しようとすれば、当然同じ意見の人が多数現れることになる(本当はその中で、細かく細かく分かれていくから、厳密には同じじゃないんだけど)


そうすると、数が多い方が正しいということになってしまいがち。でも本当にそうなのかなー?

白地にコーヒーが注がれたカップと黒地にミルクが注がれたカップの写真


今日話したいのは、ポジティブな人とネガティブな人、今風に言うと、陽キャラ(陽キャ)、陰キャラ(陰キャ)について。


私は、ヨガインストラクターなんて仕事をしているのと、見た目が、ほや〜っとしているからか、陽キャと思われがちですが、何の何の、バリバリの陰キャです(笑)


今は、陰キャの自分を受け入れているので、楽しく過ごしていますが、昔は大変だったんですよ……(遠い目)

苦しかった学生時代


私の学生時代は、絵に描いたような陰キャでした。


学校新聞に白と黒だけの、まるで幽霊みたいな似顔絵を描かれて、痛く傷ついたことがありましたが、あれは、かなり似てたと思う(笑)


まさに幽霊の如く、存在感を消していました。

暗闇で白い布をかぶってお化けのふりをしている人の写真


人よりも、テンポが1つも2つもズレていた私は、みんなと同じようにするということが一番苦手。


運動が苦手で、みんなと外で遊ぶよりも、本を読んだり、ゲームをしたりしている方が好きでした。


空気を読むことも苦手で、人との距離感もよくわからなかったので、とことん集団行動に向いてなかった(笑)


でも学生時代って、みんなと同じようにが、あらゆる場面で求められる場ですから、みんなと同じようにできない自分に、常に劣等感を感じていました。


今振り返っても、よく頑張ったなあと思います。

その後もしばらく、陽キャに憧れ、結果、苦しむ


社会人になってからも、陰キャな自分を受け入れられずに、なんとか自分を変えようと努力をしていました。


頑張って合コン行ってみたり、職場の人たちに気に入られようとしたり。


学生時代からそうだったんですが、とにかく人に嫌われること、1人になることを異常なほどに恐れていました。


いや、そりゃね、嫌われるより好かれた方がいいですよ。だけど、好かれたい、あまりに自分を偽りまくっていたんですよね……(汗)

頭を抱えて悩む男性の写真


そもそも、私は人に合わせるのが好きではなくて、自分のタイミングで自分の好きなようにやりたい人。(この辺りが陰キャたる所以)


それなのに、そんな自分の性質に全く気がついてなくて、自分を押し殺して相手に合わせまくっていたんですね。


大勢でつるむより、少人数、なんなら1人でいる方が断然楽だし落ち着くのに、あえて大人数の中に飛び込んで、苦手なのに人に合わせまくっていた。


そんな謎の苦行みたいなことをしていたので、ストレスが溜まりまくって、限界を迎えると突然キレる。


周りの人からしたら、もうわけわかんなかったと思います(汗)


なので、陽キャになりたがっていたあの頃は、頑張れば頑張るほど人が離れていくという、負のループにどっぷりハマっていました。


母が亡くなって……あれ?私、1人でも平気だ。


34歳の時に母が突然亡くなって、そこから仕事もできなくなって辞めてしまって、人と会うことが極端に減りました。


母が亡くなった直後は、母と暮らしていた家で1人で暮らしていく自信がなく、東京にいる弟のところへ行こうかと思っていました。


49日も終わって、色々な手続きも終わってひと段落した時、1人でいることが、とても楽な自分に気がつきました。

道路で飛び跳ねてガッツポーズをしている男性の写真



今まで、何で1人になることを、あんなに恐れていたんだろうと不思議になる程、1人でいることに心地よさを感じていました。


誰の目も気にせず、ありのままの自分でいられるって何て幸せなんだろうと思いました。

陰キャは、自分で自分を楽しませる術を知っている


それに気づいてからは、人生がガラリと変わりました。


私は、自分以外の人を喜ばせるのは苦手だけど、自分自身を楽しませることができる。


え?何言ってんの??って思う人もいるかもしれませんけど、きっと陰キャの人はわかってくれるんじゃないかと思います。


自分で自分を楽しませる術を知っている人は、1人で何時間でも何日でも過ごすことができる。

スパイダーマンが本を読んでいる画像



これって一つの能力だと私は思うんですよ。

現代社会では、他者とのコミュニケーションと同じくらい、自分とのコミュニケーションも求められる


現代のようにITが発達する以前は、人と人との直接的な関わりが、とても重要でした。


村の中にいて、他の村人とうまくコミュニケーションが取れなかったら、村八分に遭うかもしれない。


みんながお互いの顔を知っているような狭いコミュニティーの中では、コミュニティー内で、いかにうまくコミュニケーションをとるかっていうのは死活問題だったと思います。


もちろん現代でも、他者とのコミュニケーションが大事なことには変わりありません。


でも、昔とは比べ物にならないくらい、たくさんの人と繋がることができるようになった今では、一つのコミュニティにこだわる必要はありません。


自分がうまくコミュニケーションが取れる相手を探せばいいんです。

4人の男女が朝日に向かって肩を組んでいる写真


むしろ、現代では他者とのコミュニケーションと同じくらい、自分がどうありたいか、どうしたいかを自分で理解する、いわば自分とのコミュニケーションが大事だと思います。


他者とのコミュニケーションに気を配りすぎるあまりに、自分とのコミュニケーションが疎かになっている人が多いんじゃないかと思うんですよね、以前の私みたいに。


人間っていうのは、何らかのコミュニティーに属して生きる生き物ですから、他者とのコミュニケーション能力が優れた、いわゆる陽キャの人たちの方が、うまく立ち回っているように見えるかもしれません。


でも、今回のコロナのように、他者との関わりを強制的に断たれるような事態に陥った時には、自分で自分を満たす術を持っている人たちの方が強いんじゃないかと思うのです。


もちろん、安易に陽キャ、陰キャと分けるのは、それこそ二元論になってしまいますが、陽キャが良くて、陰キャが悪いという二元論が成り立たないということは、コロナのおかげで明らかになったんじゃないかと思います。


良い、悪いじゃなくて、ただの性質の違い


何にでも言えることですが、良い、悪いじゃなくて、ただ違うってだけなんですよね。


だから、どちらにも長所と短所があるってこと。


お互い、足りない部分を補い合えば良いんだし、もしお互いのピースが合わないのなら、別の相手を探せば良いだけ。


ただ、それだけなんですよね。

色とりどりのパズルのピースの写真


だけど、自分の持っているピースが正しいと思い込んじゃってると、合わないのに無理やり、はめようとして、お互いに傷ついちゃう。


誹謗中傷ってその最たるものだと思うんですよ。


誹謗中傷している人たちは、相手をやっつけてやったと得意になっているけど、自分の手も傷ついて血だらけになっているのに気がついていない。


結局、誰も得しないし、何も生み出さないし、悲しい人が増えるだけ。


みんなもっと自分を大事にしたら、きっと相手のことも大事にできると思うんです。

自分の性質をありのまま受け入れる


正しいとか間違ってるとか、そういうの一旦置いておいて、自分の性質を知って、それをただ受け入れてあげる。


これ、現代を生き抜いていく上で、すごく大事なことだと思います。


正しさを追求するんじゃなくて、楽しさを追求するのが、人間の本来の生き方なんじゃないかなって思うんですよねー。


自分を偽っていたら、苦しいばっかりで、全然楽しくないです。(経験者は語る)


私は、母を亡くした時にも、思ったんだけど、ガンになって、さらにそれを強く思うようになりました。


今、私はすごく元気なんだけど、いつ悪化するかわからないという覚悟もしています。


だからこそ、この元気な時間は楽しく過ごしたいと思うんです。

白壁にピンクの文字でBE HAPPYと書かれている写真


でも、ガンとかそんなの関係なく、人って、いつかは命を終える日が来るし、それがいつかはわからないんです。


こればっかりは、みんな平等に与えられた運命です。


だから、早く気づいたもん勝ちだと思いますよ!!


そういう意味では、私はガンになってラッキーだったのかもね(笑)


つまり、陽キャだろうが陰キャだろうが関係なく、ありのままで楽しく生きていきましょうっていう話でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!