人生の停滞期を知っている人、知らない人。自分を知ると停滞期すら楽しめる?!
こんにちは。Pop Sick Life
セルフマニュアルサポーターaya.です。
うまくいかない時って、なんか自分だけが
うまくいかないような気がするものです。
だけど、どんなに成功しているように
見える人でも、
その裏には数えきれない失敗や
うまくいかないことが必ずあります。

いいことしか起こらないっていうことは、
ありえない。
逆に言えば、
悪いことしか起こらないっていうことも
ありえません。
生きるってことは動き続けること。
動きがない=死ぬことだと私は思っています。
もくじ
生きることは揺れ動くこと
いいこと、悪いことの、
どちらかしか起こらないということは、
そこに動きがないということ。
生きていれば、揺れ続けることは避けられない。
揺れ続けることが原動力となって
前に進むことができるんだと思います。

そう考えると、いいことも悪いことも生きるためには
必要なことだということです。
私たちが勝手に、いいとか悪いとかの
ラベルを張っているだけで、
実際には振り子が右左と振れるように、
起こる出来事には、
本当はいいも悪いもないんだろうなと思います。
辛さは感じる。でも振り回されなくなる。
とはいえ、やっぱり辛いことが起きれば辛い。
それは変わりません。
ただ、辛さに振り回されることは
減るかもしれません。
これは、私の体感なので、
他の人に当てはまるかどうかは分かりませんが……。

母が亡くなった時の私は、悪いことが起こるのは、
環境のせい、周りの人のせい、運が悪いせいだと
本気で思っていました。
だから、
「どうして私ばっかり、
こんな目に遭わなきゃいけないの」
という行き場のない怒りに振り回されていました。
いわゆる悲劇のヒロインというやつです。
悲劇のヒロインをやっていれば、
何も考えなくて済むので楽っちゃあ楽なんですけど、
それだと前に進まないんですよね。
私の場合、母も祖母も亡くなって、
福岡にいるのは私1人になってしまったので、
自分が動かないとマジで何も進まない。
だから、悲劇のヒロインでいられる時間は
そんなに長くありませんでした。

でも、そのおかげで、
母が亡くなったことは誰のせいでもなく、
起こるべくして起こったことで、
さらにいうと私は全然不幸ではなくて、
むしろめちゃくちゃ恵まれているっていうことに
気がつけたんです。
違う世界線があるかも……
その辺りから、
今まで自分の信じてた世界とは別の世界が
あるのかもしれないと思うようになりました。
それは、起こった出来事をありのまま受け入れて、
いい悪いでジャッジしないという世界。
その世界を意識するようになってからは、
見える景色がガラリと変わって、
難解だった世界が
シンプルになりました。

ここを通っていたからこそ、
自分が乳がんのステージ4と診断されてから
今に至るまでの私があるんだろうなと思います。
もちろん不安が全くないわけではありません。
でも現時点で、ガンが私の人生に
何か制限を与えているということはなくて、
多分ガンでもガンじゃなくても
同じような生き方をしていると思います。

母の死が起こるべくして起こったことであるように、
私がガンになることも、
やっぱり起こるべくして起こったこと。
それが私の人生なので、
私にできることは起こったことに対して
どう対処していくかを決めて、
それを淡々とやっていく、それだけなんですよね。
だから、たまに不安になることがあっても
それに振り回されることはないんです。
知っていれば楽しむ余裕が生まれる
初めに書いたように、
生きるっていうことは揺れ動くことで、
浮き沈みがあるのはしょうがないし、
それによって感情が
揺さぶられることは避けられない。
でも、同じ恐怖感でも、
あらかじめ落ちると分かってる
ジェットコースターに乗るのと、
どんな動きをするのか全くわからない乗り物に
乗るのとでは全然違いますよね。
だから、自分を知るっていうことが
大事になってくると思うんです。

自分っていうものは、
この世で生きるための乗り物みたいなものですから。
自分という乗り物のことを知って、
その乗り物が進む道は上がったら下がる、
下がったら上がるの繰り返しだって分かっていると、
それこそジェットコースターのように、
そのアップダウンを楽しむ余裕も
出てくると思うんです。

スリルって、余裕があるからこそ楽しめるもので、
余裕がなかったら、ただの恐怖でしかない。
一度しかない人生、どうせなら、
落ちる時も楽しみたいと思います。
みなさんは、どうですか?