何者でもない自分を受け入れて生きる
どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!
私には高校生の頃からの20年来の友人がいます。彼女がこの週末、私の家に泊まりにきていました。私は、独身、一人暮らし。対して彼女は、既婚者で、フルタイムで働きながら5歳の子供を育てています。
このお泊まり会は、毎年恒例の行事になっているのですが、今回ふと彼女が「友達っていいよね。家にいれば、妻だったり母親にならなきゃいけないし、仕事をしている時も何らかの役割がある。でも友達といる時の私は何者でもない私になれるんだよね」と言ったんです。
私の今の環境は、ほとんどの時間を何者でもない私で過ごすことができるので、忘れていたけど、確かに人って歳を重ねれば重ねるほど、たくさんの役割を背負って生きていくことになるんですよね。
もくじ
役割に負担を感じていた
私も数年前まで、それなりに色んな役割をこなしていました。
そして、私の場合は、その役割をこなしきれず、いつも、いっぱいいっぱいだったように思います。
その理由は明確で、いつも周りの評価を気にしていたから。
悩みは全て人間関係にあり、同時に幸福の源泉もまたそこにある
友人の言葉で思い出したのが、アドラー心理学の「嫌われる勇気」
改めて読んでみると、生きていくことってシンプルで、だけど、だからこそ難しいってことを実感します。
他者の評価を変えることは不可能なわけで、私たちができることは、自分がどうあるか、何をするかだけなんですよね。だったら他人をシャットアウトしてしまえばいいように思えるけど、厄介なことに、人は一人では幸福を感じられない。なぜなら、共同体の中で他者に貢献していると感じられて初めて幸福だと思えるから。
悩まされるとわかっていて、共同体の中でしか生きられないのが人間なんですよね〜。そしてまた厄介なのが、他者に貢献していると感じるのは、自分なんですよね。
他者と関わりながらも、主導権はあくまで自分が持っておく必要があり、それを他者に渡してしまう、つまり他者の評価を気にして行動してしまうと、途端に苦しくなってしまうわけです。
役割が増えれば増えるほど、他者との関わりも増えていくわけで、その全てにおいて自分が主導権を握るためには、今現在の、あるがままの自分を受け入れることが大切になってきます。
100点の自分だろうと60点の自分だろうと変わらず受け入れる
自分を受け入れる時に陥りやすいのが、我慢したから・頑張ったから・いい結果を残したからetc……のように行動レベルで自分を受け入れてしまうこと。
これをやってしまうと、その行動ができなくなった時に、自分を全く受け入れられなくなってしまいます。これは、まさに鬱病になった時の私の母です。
「自分を犠牲にして頑張って、物事を完璧にこなしている」からこそ、人に流されず、自信に満ち溢れていたけれど、病気で、今までと同じようにできなくなったことが、さらに病状を悪化させていったことは明らかでした。
条件付きの自己受容は、諸刃の剣なんです。そもそも人って、その存在自体が尊いものです。
これって、自分だとわかりづらいんですが、自分の大事にしている人に置き換えてみてください。大事な人が大事な理由ってないですよね。その人がこの世に存在していることが自分の支えになっているというか。それは自分自身にも言えることです。
「今」はゴールにたどり着くための途上ではない
初めにも書いた通り、現代に生きる私たちは、たくさんの役割を抱えて生きています。いくつもの役割をこなしていくためには、今の自分を受け入れ、今できることに集中する必要があります。
過去を悔やんだり、未来を憂いたりすることは、意味がありません。それは、人生が、今この一瞬一瞬の積み重ねだから。人生のゴールに線でつながっているわけではなく、点の積み重ねがゴールを作っていくからです。だからこそ、今できることを全力でやることが幸福な人生を生きるってことなんだと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!