母と娘の危険な関係⁈


どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!


母と娘って、関係性が結構難しいんじゃないかなと思っています。同性って事もあって、時にライバル、時に親友にもなりうる。でももちろん、親と子でもある。


実は私自身が母との関係性にかなり悩まされてきました。母が病気になったのも自殺してしまったのも私と母との関係性の問題が大きく関わっていただろうと思っています。


だから、当初は「私が母を殺したんだ」とまで思いました。


でもその後、そもそも私たち親子の関係性が歪んだものだったから、起こるべくして起こった事だったんだと自分の中で消化できるようになり、罪悪感からは解放されました。


私たちのような母娘関係ってそんなに珍しいものではなく、同じように悩んでいる方が結構いるような気がします。


そういう人には是非、それは問題がある関係性であることに気づいて、何とか抜け出して欲しいと思います。

危険な関係性、その名も共依存


私と母の関係性は、共依存でした。


共依存というのは、簡単にいうとお互いが依存しあうことで成り立つ関係。


共依存と似て非なるものに、相互依存というものがあります。


同じ依存でも、こちらは、人という字が示すようにお互いに足りない部分を補い合い、支え合う関係。しかし、共依存はお互いが足を引っ張りあう関係。


相互依存がお互いを尊重し合うのに対し、共依存は一方が、もう一方を支配するような関係です。


そう言うと、支配される側だけが依存しているように感じますが、支配する側は支配することで自分の存在意義を感じているので、それもある種依存と言えます。


つまり、支配される側はいつまでも自立せず、支配する側に依存し、支配する側は、支配される側をいつまでも自立させないようにすることで関係性が成り立っているんですよ……。


怖いっしょ??

共依存といえば……


わかりやすい例が、DV夫とその妻。


夫は暴力で妻を支配する。妻は、「夫のことをわかってあげられるのは自分だけだ」と耐え忍ぶ。


監禁でもされていない限り、妻はいつでも逃げることができるはずです。


もし、本当に解決したいと思うのなら、夫から離れて第三者に入ってもらうことが一番の策だと思いますが、大抵そうはならないから問題になっているわけです。


部外者が見れば離れた方がいいのは明らかなんだけど、夫婦の間で共依存が成立していると、それができないんですよね。


そして、もう一つ非常にわかりやすい例があります。


何もできない子と、何でもやってあげる母。


そう、これが私と母の関係です。私はアトピーや小児喘息もあったし、小さい頃はとにかくよく体調を崩す子でした。一般的な子供よりも何倍も手がかかったと思います。


しかも私は第一子でした。そして母は超がつくほど真面目で几帳面な性格。


母は23で結婚して、故郷の鹿児島から慣れない東京に出てきて翌年に私を生みました。周りに頼れる人は誰もいない中、人一倍神経質な母親が、人一倍病弱な子を育てていたら、それはそれは心配でしょうがなかったと思います。


しかも、私は強烈な母親っ子で、赤ちゃんの時から母が抱っこしていないて決して寝ないという超問題児(汗)母の苦労は計り知れません……。


さらに、私の問題児っぷりは続きます。


決められた時間内に決められたことをすると言う集団生活には必須のスキルが、私には欠落していました。何をやっても、みんなについて行けず、いつも一番最後。
子供って残酷ですから、気づけば置いてかれていつも1人。


母はいつも私が辛い思いをしないように、先回りして「こうしなさい」「ああしなさい」と言ってくれました。何なら私が気づく前に全部やってくれたりして(宿題の工作とか)


私が何にもできない子になるまでに、そう時間はかかりませんでした。何をするにも母の指示がないと動けない。決められない。


恥ずかしながら、それに気づいたのは、母が亡くなった34歳の時でした……(汗)


私が高校2年生の時に両親が離婚し、シングルマザーとなったことで責任感の強い母は、さらに子供に干渉してくるようになりました。


しかし、同じように育っていても弟と母は共依存にはなっていませんでした。それは弟がきちんと自分の頭で考えていたから。私との分かれ道はここです。


もちろん私にも反抗期はあったので、「家を出る!」なんて言った事もありましたが、私も本気じゃないし、母も私が本気じゃないことをわかっていたと思います。


結局私は1人じゃ、行く高校も、大学も、就職先さえ決められなくなっていましたからね……。


ああ、もう、自分で書いていて、自分のあまりのイタさ具合に情けなくなってきます。


年々ひどくなる母の干渉


弟と母は共依存ではなかったと書きましたが、それでも弟がいるうちは、母の干渉は2人に分散されていました。


でも弟が就職をして家を出てからは、私が一身に母の干渉を受けることになりました。


そうなってくると、さすがにだんだんと、しんどくなってきました。


社会に出て色んな人と関わるようになったことで、どうも私と母の関係がちょっとおかしいことにも気がついてきました。


しかし、もう私は1人では何もできない人間になってしまっていて、と言うか、そう思い込んでしまっていて、しんどいと思いつつも、そこから抜け出せませんでした。


私を心配しているからこそだとは思いますが、ことあるごとに母から「あんたは何もできないんだから」とか「どうせできないんだからやめときなさい」とか言われ続けていたので、自分でもそう思い込むようになっていたんです。


今思えば、きちんと自立して実家から出て、一人暮らしをしていれば、もう少し違っていたのかなと思うんですが、「給料が少ないから」とか「貯金したいから」とか何かと理由をつけては一人暮らしを避けていました。


DVを受け続けているのに、夫から離れられない妻と全く一緒です。


ただ、時が経ってお互い歳をとれば少しは落ち着いてくるかなと思ったのですが、むしろ年々母の干渉はひどくなる一方でした。

どちらかが、1人で立とうとした時に関係が壊れる


33歳になった時、ハタと「このままでは私の人生は母の人生になってしまう」と気がついて(遅)初めて自分で考えて行動を開始しました。(これまた遅)


その時の収入では、引っ越し代や一人暮らしの費用を捻出するのが難しいと思ったので、母には黙って転職するために就職活動を始めました。


母にバレてしまったら終わりなので、何とかバレないように細心の注意を払いつつ就職活動を続けていたら、やっと転職先が見つかりました。


その時、働いていた職場に退職願出し、全ての手続きが終わってから母に報告しました。


……世間一般では当たり前のことなんですけど、何から何まで、それこそ今日着ていく服さえも母に尋ねていた私としては一世一代の行動でした。


ちょうどその頃から、母は不眠が始まり、鬱病になり入院してしまいました。


具合が悪くなっている母を見て、私は心配するどころか、「病気になってまで私を自立させまいとするのか」と腹立たしく思っていました。


だから、母が病気療養中、お見舞いには行っていたけど、心から寄り添ってあげることはできませんでした。


母が亡くなった日の朝も喧嘩をして捨て台詞を吐いて仕事に出かけていたので、帰宅して母の亡骸を見た時、「私は大変なことをしてしまった。私が母を殺した」と、まず思いました。


ただ、母の性格上、自分の意思で命を絶つのなら絶対遺書を残すはずなのに(入院する時でさえ、ゴミ出しの日から掃除の仕方など諸々を、ヘロヘロになりながら何枚もメモに残していました)遺書が残っていなかったことと、亡くなる前に病院で薬(胃腸の薬)をもらっていたことから、恐らく突発的なものだったのだろうと思って少しは救われました。


と、いうか、そう思いこまないとやっていけなかった。


その日から私は依存先を強制的になくしてしまって、全てを自分で決めなければいけなくなりました。


何しろ30年以上自分で決断するということをしてこなかったので、初めは怖くて仕方ありませんでした。


仕事もできなくなって、転職したばかりの会社を一年も経たずに退職しました。


とはいえ、もう、やるしかないので、ひたすら自分と向き合っていたら、だんだんと自分の意思がわかるようになってきて、今では決断することに恐怖を感じなくなりました。

人間には、火事場のバカ力がある


私の場合は、半強制的に共依存から脱出させられた感じですが、共依存の期間が長ければ長いほど抜け出すことに恐怖を感じると思います。


支配する側は、される側が無力だと思わせて自分に依存させるので(本人は無意識)自分は1人では何もできないと思い込んでいる人がほとんどだと思います。


でも、人間て、そんな弱い生き物ではありません。


もちろん1人で生きていくことはできないけど、自分の足で立つことはできます。だから勇気を持って支配してくる相手から離れてください。


そこから抜け出す恐怖よりも、抜け出した後の開放感の方が何倍も大きいです。


色んなことが起こっても大丈夫、人間には火事場のバカ力があります。やろうと思えば大抵のことは何とかなります。


だから、自分の力を信じて下さい。まずは離れて、お互い自分の足で立てるようになったら、また助け合えばいいんです。そうなれる相手とは自然とそうなっていくと思います。


誰しも、自分の人生の主役は自分です。そして自分の人生で主役になることが幸せに生きるってことなんじゃないかと思います。


以前の私のように、自分の人生で脇役に甘んじている人がいたら、ぜひ主役を勝ち取って欲しいと思います!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!