シン意識高い系


どーも、こんにちは!
アトピーで乳がんだけど
元気にヨガインストラクターしている
aya.です!【プロフィールはこちら


私、とある合宿に参加してきました。


その時のスピーチで、頭真っ白、
ぶっ飛んだ話はこちら↓


その合宿が、本当に衝撃的なものだったんです。
今日はその話をしてみようと思います。

そもそも、みんなでワイワイ苦手な私



実は私、みんなでワイワイするのが
大変苦手です。


その場の雰囲気自体は好きなんですが、
5人以上人がいると、誰と話していいか、
誰の話を聞いたらいいのか
わからなくなります。


誰か1人、話の話の中に入れずに
ポツンとしている人を見つけたりすると
その人が気になってしまったり

同時進行で違う話をされると
どっちの話の内容も
頭に入らなくなるんです。


そのくせ、沈黙には耐えられないので、
とにかく場の空気が悪くならないように、
人見知りなくせに、しゃべるまくる。

女性が数人でワイングラスで乾杯している


結果、もんのすごい疲れる……。


若い頃は、それに気づかずに
無理してサークルの飲み会やら
合コンやら行ってたんですけど、

結局新しい友達ができるわけでもなく、
彼氏ができるわけでもなく、
疲れ切って帰宅して、
次の日は一日寝てる……

みたいな、
意味不明なことをよくやっていました。


だけど、自分だけ行かなかったら、
孤立してしまうかもという恐怖から
とにかく誘われた飲み会には必ず
参加していました。


時には、体の方が耐えられなくて
当日具合が悪くなり、
ドタキャンしてしまうことも……
(超迷惑)

とにかく1人で行動(決断)できなかった


多分本心では、
うすうす集団行動が向いていないことに
気がついていたんだと思います。


何しろ、3人以上で遊んでると、
毎回気がつけば1人……状態だし

一緒に帰る約束をしてるのにいつも
私だけ置いていかれる(若い時は特に
時間の流れが1人だけ超スローだったため)


みんなと同じようにできないから
みんなの輪の中に入れない。



それなら、1人で行動すればよかったんですが
この頃の私は、1人になることに
異常なまでの恐怖感を抱いていました。


なぜなら、自分で決断ができないから。

パニックな様子の女性


自分は何が好きで、どうしたいのかに
蓋をして、みんなに合わせることを
やり続けた結果、自分で自分が
わからなくなっちゃたんです。


学校では、友達に合わせる。家では、母に合わせる。
自分と向き合う時間なんて
1ミリも作っていなかった。


物事を判断する基準が、全て外にあったんです。


でも、当たり前ですが、人ってそれぞれ
価値観が違う。
仲が良くて、一緒にいる人たちだって、
全く同じ価値観の人はいません。


基準が外にあるということは、
その時一緒にいる人によって
基準がコロコロ変わるということ。


そりゃ、疲れるはずですよね……。


でも、その頃の私は、

みんなと同じにできない=自分が劣っているから

そんな風に思っていたので、
うまくできない自分が悪いと思い込んでいました。


だから、そんな苦行みたいなことを
ずっと続けてたんですよね……。


我がことながら、恐ろしい話です。

母の死をきっかけにやっと自分の基準を取り戻した


一番初めの集団行動の場となる幼稚園から
社会人になってからもずっと、
外側の基準で生き続けていた私ですが、
34歳の時の母の死で、大きな転機を迎えます。


私はずっと実家暮らしで、母と接する時間が
一番長かったので、私の基準の大部分は
母の基準でできていました。


その基準を突然失ってしまって初めて、
私には自分の基準がないことに気がついたんです。


その時のことは、
この辺の記事を見てもらうとして↓


そこから、初めて、
自分と向き合うということをやり始めて、
少しずつ自分の基準を取り戻していきました。


みんなと同じにできないこと
みんなの輪に入れないこと



それは、私が劣っているんじゃなく、
ただ、私とみんなが違うだけだってことが
やっと理解できるようになりました。


それが理解できてからは、
1人で行動していても恐怖感なんか感じないし、
むしろ、めっちゃ楽だし楽しいと
思うようになりました。


「みんなでワイワイの会」に
参加することもだんだん減っていきました。

じゃあなぜ、合宿に参加したのか?


話を戻して、じゃあ、なぜ、今回
この合宿に参加したのか?


補足しておくと、今回の合宿は、
主催者の司さん以外、全く知り合いはおらず、

その司さんも、
セッション(東洋占術)を受ける時に
一度お会いしたのみという
今までの私だったら
絶対参加しないであろうメンバー。


私をよく知る人は、
「え?行くの?!」と
ちょっとビックリしたほど。


実は、私が一番ビックリしました
(なんじゃそりゃ)


でも、なぜ参加したのか、
理由は私にもわからなかったんです……。

黄色い背景に白のタイルで描かれたハテナ


お誘いを頂いた時に、なぜかわからないけど、
「ちょっと行ってみたい……」と思ったんですよね。


その時に、もう1人の私が
「え?!マジで行く気?!絶対やめた方がいいって。
自分、そういうの苦手やん!
今まで何回も痛い目あったやん!!!」

って全力で止めにかかってきたんですが、
ここ数年、このもう1人の私……
つまり、頭で考えている私の言葉に
従った時ってことごとく失敗してるんです。


これは自分と向き合うようになって、
わかったことなんですが、
どうやら、私は何かを決める時、
その瞬間に
もう答えは決まっているようなんです。


ただ、「なぜその選択をしたのか」の理由は
説明できない。


だけど、そっちを選ぶのが今の私にとって
最善の選択だということは
わかっているので、頭の声は無視して
とりあえず行くことにしたんです。

やっぱり直感は間違ってなかった


その合宿は今回で3回目だったらしく、
今回初めてなのは多分、私だけ。


皆さん、誰かしら顔見知りの方がいらっしゃる様子で
初っ端の顔合わせの時、正直

「う〜ん……、もしかして
これはちょっとキツイかもしれん……」

と、思いました。


ですが、お互いの緊張を解くために
ゲームが企画されていたりして、
気づけばすっかり打ち解けていました。


で、すごいのが、いつもの
誰と話せばいいのか、誰の話を聞けばいいのかを
全く考えずに過ごすことができたということです。


この合宿自体、同じような感覚をもった人たちが
集まったものだったので、
自分を相手の基準に合わせるという作業が
そもそもいらなかったんです。

私の病気のことを聞いても、憐れむ人は1人もいない


私が病気になって1番強く感じた違和感は
周りの人に「ガンになって、かわいそうな人」
というレッテルを貼られること。


私自身は、ガンになる前と何ら変わってないのに、
勝手に「かわいそうな人」として扱われる。


そもそも「かわいそう」って、
一見相手のことを思いやっているようで、
実は無意識下で、相手を下に見ているからこそ
生まれる感情だと、私は思っています。

黒人の掌に白いペンでNOと書かれた写真


もし、少しでも自分ごととして、
相手の置かれている境遇を見ているのなら
「かわいそう」という言葉は出てこないと思うんです。


安全を確保された場所にいて、
自分には絶対危険が及ばない、
自分には関係がないと思っているから
相手に対して「かわいそう」と
憐れむ気持ちが生まれる。


これはあくまで私の個人的な解釈ですが、
私は「かわいそう」な人として
扱われることに強烈な違和感を感じました。


でも、今回の合宿で
私を「ガンになって、かわいそうな人」として
憐れむ人は誰1人おらず、
みんな、今、目の前にいる私自身を見てくれました。

年齢、経験に関係なく人の話をフラットに聞ける素直さ


合宿には、年齢、経験関係なく
本当に様々な人が参加されていました。


でも皆さん、すごくフラットで
誰のどんな話であろうとジャッジせずに、ただ聴く。


そして聞かせてくれてありがとうと
感謝する気持ちが滲み出ている。


冒頭で話したように、私は皆さんの前で
自分の経験をお話しさせてもらったんですが、
緊張で、頭真っ白ぶっ飛んで、
うまく話せなかったんです。


それでも皆さん
最後まで真剣に聞いてくださいました。


そして決して憐れむことなく、目の前の私を
そのまま受け入れてくれました。


うまく話せなかった……とヘコむ私に
大丈夫、すごく伝わってきたよ!と
声をかけてくれたり、メッセージをくれたり……。

ありのままの自分を
こんなにも認めてもらったのって初めてでした。

オーケーの中に入った太陽の写真


今まで、頭では
「人は存在するだけで価値がある。
ありのままの自分でいい」って
わかっていたけど、やっぱりどこか不安があって、

自分のことを蔑ろにする人に
すがってしまったりしていたけど

この経験で、肚の底から
「私は私のままでいい。
このままの私で価値がある」だから、
私をちゃんと大事にしてくれる人を
私も大事にしようと思いました。


この経験をするために、私はこの合宿に
参加したんだろうなー、きっと。

共通する3つのこと


この合宿に参加されていた人は、みんな
人生の岐路に立たされて悩んだり、
辛い思いや大変なことを乗り越えて
来た人たちでした。


もちろん、みんなそれぞれ全く違う経験を
してきているのだけれど、
共通していることがいくつかあります。


それは、先ほども書いた、

・人を憐れまないこと
・人に感謝すること

そしてもう一つが、

・人のせいにしないこと。


超えてきた道は違うけど、この3つは
あの場にいた人たち、みんなが
共通して持っていたものだと思います。


それは、みんな自分の人生に
責任を持っていて、
相手の人生を尊重しているからこそだと思います。


自分の人生に責任を持っているから
起こったことを人のせいにはしないし、
何かして貰えば素直に感謝できるし、

相手の人生を尊重しているから
憐れんだりは絶対しない。


だから一緒にいてすごく心地いいし
一緒にいるだけでエネルギーが高まっていく、
そんな感じでした。

真・意識高い系


今の世の中では、新しいことに挑戦したり
他の人がやっていないことを
進んでやったりすると
「意識高い系」なんて揶揄されたり、

実際、とりあえず形だけ取り繕って
「意識高い系」を装う人たちもいます。


もちろん、どんな風に生きていくかなんて
その人の自由だし、挑戦する人を
安全地帯から揶揄したり、

とりあえず流行っているからで飛びついて
周りの人を見下したりすることも
選択の一つです。


でも、それでは本当の意味で幸せな人生は
送れないんじゃないかと私は思います。


私があの合宿で出会った人たちは
そのどちらでもない、言うなれば
真の意識高い人たち。


そんな人たちと一緒にいて、
ものすごいスピードで
インプットとアウトプットをしたせいか
帰ってきたら、
そのままバタンキューでした。


次の日もまだ頭がボーっとして使い物に
ならなかったので、あきらめて
名探偵コナンの映画を見ました(笑)



この経験は、私を大きく成長させてくれたと
思っています。


改めて、自分のやりたいことに自信を持って
自分を信じて、ガンガン前に進んでいこうと
思います!


また次の合宿も参加したい!!!

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。