乳がんステージ4の私が思う、生きることと死ぬこと


どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!


私は、34歳の時に母と祖母を立て続けに亡くしました。


その4年後には、自分が乳がんステージ4と診断され、私の中で、生きることと死ぬことは永遠のテーマになりました。

十字架が立てられたお墓の写真


でも、私の死生観って、ちょっと変わってる??あんまり理解してもらえない?ような気がします……(汗)


特に、自分がガンになってからは、それを顕著に感じます。


生きること、死ぬことって、とても大事なこと。


とても大事なことではあるけど、あまり肩肘張らずに、気楽に読んでいただいて、ご自分の考えと比べてみていただけると嬉しいです。

今を大事にすることは、ダメなことなん?


ガンと診断されて、初めの頃は、特に気にせず、誰にでも、正直に自分の考えを話していたのですが、結構色んな人に怒られてしまって、面食らいました。


ブログでもYouTubeでも、再三お伝えしている通り、私はいつ死ぬかじゃなくて、どう生きるかを大事にしたいんです。


余命がこのくらいだから、あれしようこれしよう、じゃなくって。


ステージ4と言われた時、先生に


「僕に余命を聞かないでね。ステージ4っていうとね、みんな余命を聞きたがるんだよね。でもさ、余命なんて、誰にもわかんないの。僕にもわかんないんだよ」


って言われて、初めて余命を意識したくらい。

乳がんのレントゲンを見ている医師


先生が言うように、いつ死ぬかなんて、誰にも分からないから、いつ終わりの時が来てもいいように、


今、自分がどう生きていきたいかを大事にして、それを妨げない治療法を選びたいんです。


それは、生きることを諦めているわけじゃなくて、これから先も生きていくつもりだからこそ、今を大事にしたいんです。


何の理由もなしに、抗がん剤や手術を拒否しているわけでもないし、西洋医学より、代替医療の方が私の希望の生き方に合っているから選択しているだけのことなんです。


でも、これがなかなか、うまく伝わらんのですよ……。


私の語彙力の問題もあるんでしょうが……。


最初は、私の人生、私が好きなように生きて何が悪いの?って思っていたけど、


喧嘩したって、誰も得しないじゃん、って思ってからは、怒りをぶつけてくる人からは、そっと離れるようにしました。


もし、縁のある人なら、きっとまた一緒にいれる日が来るだろうから、今は一旦さよならしようっていうような感じで。

私は、今できること(やりたいと思うこと)をしたい


ステージ4と診断された時、瞬間的に思ったことは、やはり「私、死ぬのかな」でした。


だけど、時間が経って冷静になっていくと、診断を受ける前と受ける後、私自身は何も変わっていないよなってことに気がついたんです。


私の胸には4.8cmのしこりがあって、それはガンで、肺にも転移しているっぽい。


それは事実としてわかったことだけど、別に体がきついわけでもない、しこりが痛むわけでもない。呼吸が苦しいわけでもない。


どうしても自分が死ぬところが想像できなかったんです。

Starbucks(スターバックス)でヨガインストラクターaya.が笑顔でピースしている写真


でも、それは体と心が元気だったからで……


もし、抗がん剤を使って体がしんどくなったり、髪の毛が抜ける自分を目の当たりにしたり、手術で胸がなくなったりしたら、恐らくこのままではいられないなっていうのが予想できました。


私は、弱い人間なので。


母の死を乗り越えて、やっと自分の人生を生き始めたところだったのに、それができなくなってしまったら……


また、以前の、生きてんだか死んでんだか、よくわからない私に戻ってしまうと思いました。

霧がかかった森の中


それに、私は独身で、一人暮らし。


自分のことは自分でやらなきゃいけません。


やる気がなくなると、途端に何もやりたくなくなってしまう私が、生きる意欲を無くしてしまったら……


自分の生活が惨憺たるものになるのは、目に見えていました。


そんなのは、嫌だ!!と思ったんです。


独身一人暮らしだと、自分のことは自分でしなきゃいけないけれど、逆を言えば、自分のことさえできていればいい。


だったら、自分の生きるモチベーションを極力下げないようにしよう!という結論に至り、今のスタイルに落ち着きました。

死は、辛いことからの解放だと思う


これは、母と祖母の死を経験して思ったことです。


私はそれまで、身近な人の死を経験したことが、ほとんどありませんでした。


だから、前日まで、普通に会話をして、明日も明後日も、当たり前に会えると思っていた人が、突然亡くなるというのは、本当にショッキングな出来事で、受け入れ難いものでした。


見た目には、眠っているようにしか見えなくて、今にも動き出しそうなのに、触ってみると冷たくて、固くて、その瞬間に死というものを痛いほど実感しました。


だけど、当の本人たち、特に祖母は本当に安らかな顔をしていて……


その顔を見ていたら、私は悲しくってしょうがないけど、亡くなった本人は幸せなのかもしれないって、ふと思ったんです。


死っていうのは、生からの解放なのかもしれないって。

草原で女性が青空に向かって両手を広げている写真


考えてみれば、生きるって、大変なことなんですよね。


母と祖母の場合は、亡くなる間際が本当に辛そうだったので、余計にそう感じたのかもしれないですが。


死ぬって言うのは、ほんと、「千の風になって」みたいな感じなんじゃないかなって思います。



母と祖母が、私から死の恐怖を取り除いてくれたのかも


私は今、ありがたいことに、希望通りの治療ができて、そして元気なので、自分が死ぬというイメージは、まだありません。


でも、いつ死んでもおかしくないという気持ちも同時に持っています。


それは、ガンだからというよりも、母と祖母の突然の死を経験したからだと思います。


もし、この先、私の病状が悪化して、体がキツくなってきた時には、また違う感情が生まれるかもしれませんが、少なくとも今は、死への恐怖みたいなものはありません。

白いバラの写真


それも、母と祖母の死を経験したおかげだと思っています。


もちろん、亡くなった当初は、悲しくて悲しくて仕方なかったけど、時間が経つにつれ、2人が辛さから解放されてよかったと思えるようになったし、祖母の安らかな顔を思い出すと、死ぬことは、怖いことではないと思えるんです。


母と祖母が、2人して私を支えてくれているという思いがどこかにあるから、特に根拠がなくても、私は大丈夫だと思えるのかもしれません。

ガンが治るかどうかは、そんなに重要ではない


これもまた誤解されやすいのですが、治らなくていいって言っているわけではありません。


ただ、治るっていう概念自体も曖昧なものだし、ガンになった以上、再発の可能性は、ずっと続くわけですから、そういう意味では完治はありません。

ピンクの手術着を着てピンクリボンを持っている写真


だから、そこにこだわるんじゃなくて、ガンがあろうがなかろうが、最後の時に後悔しない生き方をするっていうのが、私にできる唯一のことだと思うんです。

これは、あくまで「私の」話


このブログも、YouTubeも、あくまで「私は」こう思う、こういう選択をするという話をアウトプットするためのものです。


私が正しいというつもりも、意見が違う人が間違っているなんていうつもりも、さらさらありません。


自分で、これがいいと思うもの、それが自分にとっての正解で、正解は人の数だけあるんだと思います。

アパートにたくさんの人が住んでいる絵の画像


だから、私と違う死生観を持っている人は、「へえ、そういう人もいるんだね」くらいに思ってくれればいいし、同じ死生観を持っている人は「自分と同じ考えの人もいるんだ」と思ってくれればいいと思います。


どんな考え方を持っていても、批判したりされたりせず、何の忖度もなく、自由に自分の人生を選べる世の中になればいいなあ……。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!







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