私たちは絶対的に幸せで、存在しているだけで価値があるってことを忘れてるだけ


こんにちは。Pop Sick Life
星読みセルフマニュアルサポーターaya.です。


つい2、3日前にこんな記事を書いたのですが……

今月のヨーガ哲学がまさにタイムリーな内容でした。


私は34歳を境に、生まれ変わったと言っても
過言ではないくらい、
それまでの価値観が変わりました。


そして、その時から、

短期間に同じ言葉や同じ内容を、
全く関係ない様々な場面で目にしたり耳にする
」と
いう経験をよくするようになりました。


初めは、「すっごい偶然!」とか
思っていたのですが、
あまりに頻度が高いので、今では、これは

誰かしらの何かしらのメッセージなんだろうと
思うようにしています。


多分、これって特別なことじゃなく
「生まれ変わる」以前にも
起こっていたんだろうと思います。


あの頃の私には、それが気づけなかっただけで。

心の作用を止滅する


ヨーガの目的は
心の作用を止滅(止める)させること。


それはなぜかというと、
私たちの苦しみの原因が心の作用、つまり、
心が揺さぶられることにあるからです。


心の作用を止滅するとは、
無感情になるわけではなく、
感情に振り回されないようにする
ということ。


それは喜怒哀楽を感じている自分を
「あ、今、こういう感情だな」と
俯瞰して見るということ。

本来の自分は絶対的な存在


私たちは喜怒哀楽を感じている自分を
自分自身と思っているけど、

実は、それを俯瞰して見ている自分こそが、
本来の自分
なんです。


……って、うお~、これ、文章にするの、
すごく難しいな……(汗)


伝わるかわからないけど、頑張ってみます。

木の途中に板で作った踊り場みたいなものがあって、そこに梯子がかけてあり、その踊り場に男性が座って風景を眺めている



俯瞰している本来の自分は、
そこに存在しているだけで
幸せに満ち溢れている
んです。


これが真我


真我っていうのは絶対的な存在なので、
何かと比べる必要がない


それは存在しているだけで価値がある
絶対的な存在
だということ。


これに気づいた時、

「やっぱり人って存在してるだけで価値があるんだ!
このタイミングで、この話聞けるとは!」

と心の中でガッツポーズしてました。

実際はめっちゃすまして座ってましたがw。

絶対的存在の自分……を忘れちゃった(汗)


でも、私も含め、そんな絶対的な幸せを
感じられている人って、ほとんどいませんよね。


それはなぜか?というと、先ほども書いた通り、
感情に振り回されている自分と本来の自分を
混同してしまっているから
なんだそうです。


わかりやすく言えば、
波乱万丈な人生を生きている韓国ドラマの主人公を
自分自身だと勘違いしている。


さらにドラマの世界を本当の世界と
思い込んで
しまっている。


韓国ドラマって、感情を揺さぶられる出来事が、
これでもかっていうくらい
次から次に起こるじゃないですか。


見ている時は、感情移入して号泣したりするけど、
ドラマが終わってテレビを消せば、
元に戻りますよね



それはドラマと現実が
別のものだとわかっているから
です。


だけど、私たちが生きている世界のドラマは
ものすごくリアル
なので、

人生の荒波に揉まれている自分と
それを見ている本来の自分が
ごっちゃになってしまっているんです。


だから、本来は絶対的に幸せなはずなのに、
それを忘れて苦しんでしまう
というわけです。

あえて苦しむために生まれてきた?


「私たちは、元は、
なんでも思い通りになる幸せな世界にいた。
でも、それが当たり前で退屈になった。

だから思い通りにならない世界を体験したくて、
地球に生まれてくる
」と

何かの本で読んだことがあります。


ヨーガ哲学の経典、ヨーガ・スートラに出てくる
一切皆苦」という言葉は、

この世の中は全てが苦である=思い通りにならない
という意味。


さっきの話だと、全てが苦だと知っていて、
それを体験するため、自らこの世の中に
飛び込んできた
ってことですよね。

苦っていうよりスパイス的な


それだけ聞くと、「え、マゾなの?」って
思っちゃいますが(笑)


ここで言う「」って私たちが想像するような
ネガティブ感が強いではないんですよね。


苦=思い通りにならないこと」と考えると、
それはあたかも、ジェットコースターに乗ったり、
難しいゲームに挑戦したりするようなもの。

そう考えると
自ら「」を選んだ私たち(?)の気持ちも、
ちょっとだけわかる気がしませんか?



たまに思い通りにならない「」を
経験することで、より、幸せを
感じられるように
なる。


おなかいっぱいの時の高級料理より、
空腹の時の塩おにぎりの方が
美味しく感じるのと同じ。

知ってるか知らないかでは雲泥の差


もちろん、頭でわかっていたって、
すぐに揺さぶられなくなるわけじゃないですけど、

知っていると知らないのとでは、
揺さぶられる大きさも、
元に戻ってくる早さも全然違います



幸せを感じるための苦ではあるけど、
それって、適量だからスパイスになるわけで、

大きすぎると本当の苦行に
なっちゃいますからね(汗)


そうならないためにも、私たちは絶対的に幸せで、
存在しているだけで価値があるってことを

1人でも多くの人に受け入れてほしいなあって
思います。


そのために今日も星を読んでいる私です。