手放す時は1人で

どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!


私自身はミニマリストに憧れるけれど、自分の性格上、あそこまでつきつめた生活はできないとわかっているので動画を見て満足しています。


ミニマリストのやまぐちせいこさんが好きで、よく動画を拝見しているのですが、先日アップされていた動画がとても心に響いて、これって片付けに限ったことじゃないよなと思ったので、ブログにしてみました。



自分の家を把握するために


私は、実家に住んでいます。元々は家族4人で暮らしていた家ですが、両親が離婚し、弟は就職して家を出て、母と2人になりました。その後祖母を引き取り、3人で暮らしていましたが、5年前に母と祖母が亡くなり、今は私が1人で住んでいます。


実家ですから特に足りないものはないし、1人で住むので広さも十分すぎるほどありました。つまり、特に片付けなくても、そのまま暮らしていくことはできたわけです。


ですが、2人が亡くなった後、まず、半年かけて遺品を整理し、そこから今まで、家族用の大きな家具や家電を1人用に縮小したりと、少しずつ片付けを続けています。


母が生きていた頃は、家のことはすべて母が管理していました。だから、母が亡くなった時、数珠がどこにあるかすらわかりませんでした。これから1人で暮らしていかなければいけない家のことを、私は何も知らないと愕然としたのを覚えています。


母と祖母が亡くなった時、家の中にあったのは、母のもの、祖母のもの、弟のもの、私のもの。少なくとも亡くなった2人が使っていたものは、持ち主を失ってしまったわけです。


私は決して几帳面な性格ではないので、自分のものと、東京で暮らす弟がわずかに残していったものを管理するのでいっぱいいっぱいになることは、目に見えていました。


これからこの家に1人で暮らしていくのなら、家の中のものを全部把握しないといけない。そのためには持ち主を失ったものたちは処分しないといけないと私は考えました。

買った時、そこそこの値段がしたものが厄介


洋服の処分は大変でしたが、ただひたすら作業すれば終わるので難易度は低かったです。厄介だったのは、母の着物。


私は成人式の時に母の着物を着たのですが、あまりのしんどさに、もう二度と着ないと心に誓いました(笑)


もし着物に興味があって、自分で着付けを習ってでも着たいと思っていたなら話は別ですが、どう考えてもこの先そんな風に心境が変化するとは思えないし、ズボラな私に着物の管理ができるとは思えませんでした。


母は几帳面な人だったので、着物の状態はかなり良く、洋服に比べて高価なものだということもあり、捨ててしまうのには罪悪感がありました。


今になって思えば買い取ってもらえる業者を探して、見つからなければ処分した方が良かったのですが、あの時は、捨てることほどじゃないにしても、売ることにもやはり罪悪感を感じて、誰か欲しい人に譲ろうと思ったんです。

罪悪感を植え付ける呪いの言葉


知り合いのツテを辿って譲って欲しいという方が見つかり、欲しいものを選んでもらうことになりました。その時に何度も言われた言葉が……


「もったいない」「これ、多分高かったと思いますよ」「ご自分で着ないんですか」「お母様の思い出なのにいいんですか?」


そんなこと言われても、そもそも自分では着るんだったら、譲ろうなんて考えないし、思い出ではあるけど、着る人もいないのにタンスの中に眠っている方がよっぽどもったいないと思ったのでお譲りすることにしたんですよね。


多分、言っている本人は、深く考えずに発している言葉だと思います。だけど言われた方は責められているように感じますし、自分で処分すると決めたとは言え、あまりにも何度も言われると心も揺らいできます。


1回ではすべて処分できず、他の方にも声をかけて、その度に予定を合わせて、選んでもらって……を繰り返しましたが、その度に同じようなことを言われました。


そして、最終的に貰い手が見つからなかった着物は、もう捨てるしかないんだけど、あの言葉たちが呪いのように頭の中をぐるぐる回って捨てられなくなってしまい、結局すべて処分するまでに半年以上かかりました。

責任を負う気がない人こそ呪いの言葉を口にする


モノをもつ以上、所有者には、それを管理する責任があります。だから、所有者が管理できない、必要ないと思ったのなら、それは処分すべきものなんです。


所有者がモノと向き合って決めたことを引き留めるのならば、その人の代わりに自分が責任を負うということ、すなわち、そのモノを譲り受ける必要があると思います。


そう考えたら、軽々しく「もったいない」とは言えないと私は思うんです。


乳がんになって、抗がん剤や手術をしないという選択をした時、それを否定する言葉をたくさん言われ、同じようなモヤモヤを感じました。


抗がん剤や手術の副作用で苦しむのは、私自身です。私の選択を否定してきた人たちは、その苦しみを代わってくれるわけではない。それなのに、なぜ否定されなければいけないんだろうと思いました。


でも、それと同時に、私の選択は間違っているのだろうか、私はわがままを言っているんだろうかと罪悪感も感じました。

自分の人生の選択を人に委ねてはダメ!


着物と乳がんでは状況がだいぶ違います。ですが本質的には同じことで、自分の人生に責任を負えるのは自分しかいないということです。つまり自分の選択を信じるということ。


いくつかの選択肢で迷った時って、一番初めに直感で選んだ答えが正解だったりしませんか?それを無視して頭で色々と考えて選ぶと、たいてい間違う。


頭で考える時って周りにどう思われるか、つまり自分以外の人の声を聞いてしまっている時だと思うんです。それって自分の人生のハンドルを、人に握られているようなものです。


自分は右に行きたいのに左に曲がられたり、前に進みたいのにブレーキをかけられたりしたら、イライラしませんか?しかもそれで、もし事故が起こったとしても相手は責任を取ってくれないとしたら?たまったもんじゃありませんよね。


動画の中で、やまぐちさんが「物を手放す時は必ず1人で」と言われていますが、人生における選択でも同じで、その選択が重要であればあるほど自分で決めることが大事だと思います。


もちろん、それこそガンのように命に関わる選択をしなければいけない場合は、色んな人の意見を聞く必要があるでしょう。でも、それらの意見は情報の一つでしかありません。


「家族が、医者が、友達が言ったから」で決めてしまったら最後に辛い思いをするのは、自分自身です。


なぜなら、家族も医者も友達も、あなたの人生を代わりに生きてはくれないからです。

選択とは、その他の選択肢を手放すこと


いくつかの選択肢の中から一つを選ぶということは、同時に、それ以外の選択肢を捨てるということ。だから片付けをして、モノを選択し手放すということを繰り返していくと、自然と人生における取捨選択もできるようになり、結果、人生が変わるのかもしれませんね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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