私は死なない。だけど、私は死ぬ。


どーも、こんにちは!アトピーで乳がんだけど元気にヨガインストラクターしているaya.です!


前回の記事の続編ではないんですが、なんとなく、タイトルが似てしまいました(笑)

「僕は、死なない」私も、死なない | Pop Sick Life

この本は、読んでみるとわかりますが、ある地点を境にして雰囲気がガラリと変わります。 まるで、そこで生まれ変わったかのように、著者のガンとの向き合い方が180度変わるんです。 その地点を境に前半、後半と分けるならば、前半部分はガンとの戦いの記録、後半部分はサレンダー(明け渡す、手放す、委ねる)の記録。 3ヶ月後に自分が生きているイメージが持てず、無意識に死神と会話をしている。 …

今日は、人である以上、避けて通れないのに、タブー視されがちなテーマ、「死」を敢えて取り上げてみたいと思います。


と、言っても私にとって「死」は、そんなに重苦しいものでもなく、すぐ側にある身近なものっていう感じなんですよね。


それは、私がガンだから、ということも少なからず関係しているとは思いますが、それだけではないと思います。


むしろ、私の「死」に対するイメージが、身近なものだったからこそ、ガンを宣告されても死の恐怖に取り憑かれるということがなかったんじゃないかと思います。

死んだらどうしよう⁈とは思わない


前回、ご紹介した「僕は、死なない。」の中で、著者の刀根さんが、根拠はないけど、「僕は大丈夫、治るから」と看護師さんにいうシーンがありますが、これ、私も全く同じ感覚があるんです。


まあ、私以外の人からしたら、「ナニソレ⁈」って感じだと思うんですけど、根拠のない自信というか、本当に不安が全くない。


もちろん、たまに調子が悪くなったりすると(最近で言うと10/31と11/1に胸が痛んだ時)多少不安は感じますが、四六時中、「いつまで生きられるんだろう」とか「いつ死ぬんだろう」とか考えることはありません。


その1
その2

でも、いつ死んでもおかしくないなとも思ってる


矛盾するようですが、私は大丈夫と思っていると同時に、いつ死ぬかはわからないなとも思っているんです。


ガンになった以上、そうでない方より確実に死は近づいているわけですし、そうでなくても、明日絶対生きている、なんて保証は誰にだってありません。


私はガンだけど、明日、交通事故に遭うかもしれないし、もしかしたら地球が滅亡するかもしれないし(笑)ガン以外で死んでしまう可能性だって大いにあります。

海をバックに砂浜で祈る男性


人間……生き物として地球に存在している以上、死だけは絶対に避けることができない。どんなに大きな生き物でも、億万長者でも、ミジンコでも。死は、全てに平等に訪れるものなんですよね。

ってか、もうガンとか関係なくね?


そう考えると、ガンだからとか、そういうの関係なくなってくるんですよね。


少し前にYouTubeで、余命宣告って必要ないんじゃない?っていう内容の動画を出したのですが、それも、こういう考えからなんです。


どういうことかというと、余命があとわずかだから、思い残すことがないように、やりたいことをしようっていうのが、そもそもどうなんだろう?っていうことです。


余命というのは、あくまで平均で、宣告された余命よりも早く亡くなってしまう人もいれば、長く生きる人もいるわけです。


人生を決める指針にするには、いささか不確かな情報だと私は思うんです。


しかも、余命宣告っていうのは、いわば命の期限。


このエクササイズをすれば、大体2ヶ月で10キロ痩せます!とかなら、いざ知らず、自分の命の期限を言い渡されて、それをただの情報として冷静に受け止められる人がどのくらいいるのだろう??


絶対自分は大丈夫と思っても、実際、目の前で「あなたの余命は2ヶ月です」なんて言われたら、頭が真っ白になると思います。


多分それが普通の反応。


そんな状態で、これからの自分の人生について、冷静に考えられるのかな……って思っちゃうので、余命宣告って百害あって一利なしだと私は思うんです。


あくまで私は、ですけど。


余命宣告されたからといって、あわてて、やり残したことをやるんじゃなくて、そんなものあろうがなかろうが、今、やりたいことをやるってことが大切なんじゃないかと思うんです。


ガンって、ふと、立ち止まって自分の人生について考えるきっかけをくれるもの


そうは言っても、普段の慌ただしい生活の中では、なかなか自分の人生について考える時間なんて取れない人がほとんど。


でも、さすがにガンになっちゃったら、考えざるを得ないですよね。


ガンって「あなたの人生、そのままで大丈夫なの??」っていうサインなんじゃないかと、私は思うんですよ。


実際、私のガンの元(初めは良性だったのが悪性に変わったんです)が、できた時って、母に依存しまくって、自分が何をしたいかすら全然わからない状態で生きてきたのに、依存してた母が亡くなって、半年もせずに祖母が亡くなって、私史上、最大のどん底だった時。


自分の人生、自分で決めないでどうするのよ!と、ばかりに、依存してたものが、バッサバッサと切り落とされ、最後の仕上げにガンになった感じ(笑)


ただ、あの時に、初めからガンとして存在されてたら、おそらく私は潰れていたと思います。

女性がベットで頭を抱えて寝転んでいる写真


あれから3年経って、痛くも痒くもないのに(デカくはなってたけど)ふと、病院に行こうと思い立ったのも、ガンを受け入れる準備が整ったからだったのかもなあ……なんて思います。


3年検診に行かなかったことについては、批判も受けましたが、検診に行かなかったからこそ、手術までの猶予ができて、結果、ガンの診断を受けて2年経った今も、手術はせずに済んでいます。


他の人がそれについて、どう思うかはさておき、私は、自分の選択が間違っていなかったと思っています。

たぶん、みんな、知らないから怖いだけ


死って何となく、タブー視されて、触れてはいけないもののように扱われているけど、本当にそんなに怖いものなんでしょうか。


私は、母が亡くなった時、祖母が亡くなった時、その当時はショックだったし、悲しかったけど、何年か経って、ふと考えた時、本人たちは、もう苦しむことはないんだよなって思ったんです。


特に、母も祖母も亡くなる直前に、色々ゴタゴタがあって、すごく辛そうだったんですよね。


2人が亡くなって、私は悲しいけど、本人たちは、辛さから解放されたんだよねって思ったんですよね。


そう考えたら、死って残されたものにとっては、辛くて悲しいことだけど、本人たちにとっては、そうじゃないのかもって。

頭を抱えて悩む男性の写真


当たり前だけど、一回死んで、生き返った人(臨死体験とかではなく)っていないじゃないですか。


だから私たちは、死んだらどうなるのかってわからないんですよね。


わかるのは遺された者の悲しみや辛さだけ。


だから、自分が死んだ時には、どんだけの辛さが待っているんだろうと妄想ばかりが膨らんでしまっているだけで、本当はそんなに怖いものじゃないんじゃないかと思うんです。


まあ、それも私の妄想っちゃあ妄想なので、わかりませんけど(笑)


でも、考えてもわからないものを、悪い方に考えて怖がってもしょうがないと私は思うんですよね。


目指すは、「まあ、いい人生だったかな〜」と思える最後


そんなわけで、私は、とりあえず、今できることを無理なくやって日々を過ごしています。


別に何か偉大なことを成し遂げなくても(成し遂げられるなら、それはいいことだけど)毎日を幸せに過ごすことが、私にとっては、すごく大事なことなんです。

白壁にピンクの文字でBE HAPPYと書かれている写真


幸せのもとって、そこらじゅうに転がっているんですよね。


本当に幸せな人って、今、そこにある幸せのもとに気がつける人なんじゃないかな、なんて思います。


そうやって、日々幸せのもとを集めながら、幸せに囲まれて最後の時を迎えられたら最高だな〜なんて思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!