【日常の中の沈黙】ヨーガ哲学のワークショップを受けてきました
こんにちは。
Pop Sick Life星読みサポーターaya.です。
ナチュア主催のワークショップ
「日常の中の沈黙」に参加してきました。
今回は大学の先生が講師とのことで、
難しそうだけど、
途中で眠くならんかなと
一抹の不安を抱えつつ……
(大学生時代、授業は
ほぼ睡眠学習状態だったので)
で、実際どうだったかというと、
確かに、すごく難しくて、
脳みそは沸騰寸前でした。
でも、それと同じくらい
面白かったです。

とりあえず、今の感想というか
感じたことを、
この熱が冷めやらないうちに
言葉に残しておきたいと思って
これを書いています。
ただ、さっき書いた通り
脳みそは沸騰寸前だったので、
先生が言わんとしていることの
一割も理解できていないと思います。

なので、まとまりがない文章に
なっている可能性大ですが、
あえてこのまま書いていきたいと
思いますので、よろしければ
お付き合いくださいませ。
もくじ
この世の全ては幻想
目の前にあるもの、
それによりもたらされる感覚、
そして自分自身という
私たちが当然存在していると信じて
疑わないもの……

それらは、絶対的なものではなく、
実は、お互いが干渉しあって初めて
存在することができています。
例えばベランダに鳥がやってきて
さえずり始めたとします。
でも目が見えなければ、
鳥の姿は見えない。
耳が聞こえなければ、
さえずりは聞こえない。
そして鳥が来たことに気が付かなければ
その姿も見えないし、
さえずりも聞こえない。

もし、鳥の存在に誰も気がつかなければ、
存在していないのと何ら変わらない。
こんな何の変哲もない出来事でさえ、
周りの状況、
受け取り手の状態に左右されるわけです。
つまり、全ての事象、それ自体は
独立したものではなく、
輪郭がハッキリしない、
曖昧な存在だということ。

それなのに、私たちは、
ありとあらゆる所に境界線をに引いて
無理矢理、輪郭を作り出して
しまいました。
それによって「私」というものが
くっきりと縁取られて、
結果、自我というものが生まれます。

自我は、それ自体は私たちが
社会で生きていくために
必要不可欠なものであるけれど、
そこに執着が生まれてしまった。
この執着が
苦しみを生むことになるのです。
睡眠と覚醒
このワークショップのタイトルでもある
「日常の中の沈黙」
これはナチュアの三浦綾子さんと
講師の金菱哲宏先生が話し合って
決められたそう。
お二人の言う「日常の中の沈黙」とは
音と静寂によってもたらされる
いわゆる一般的な沈黙を
指すのではないそうです。

それは私たちが感覚器で
受容することのできない、
感覚的なもので
金菱先生はそれを「無音の音」と
表現されていました。

私たちが普段生きている世界は、
プロジェクションマッピングのように
実在しないものたちが
映し出されています。
映像を映し出すためには
スクリーンとなる土台が必要。
この土台にあたるものが、
「無音の音」であり「日常の中の沈黙」
ではないかと思うのです。

そう考えると、
私たちは覚醒している時の
プロジェクションマッピングの世界を
「主」と考えているけれど、
実は映像が消えて土台だけになった世界、
つまり熟睡している時こそが
「主」なのだと考えることができるのです。

睡眠中見る夢の世界も、
そこに存在しないものが
存在する世界という意味で、
覚醒中の世界と変わらないと考えられます。
つまり私たちは、
夢も見ないほど熟睡しない限り、
眠っていても覚醒していても、夢の中で
生きているようなものなのかもしれません。
ヨーガをする意味
ヨーガというものは何かに集中し、
その行為を繰り返すことで、
分離された世界の境界線をなくし、
「日常の中の沈黙」を取り戻すこと。

目の前で起こっていることは、
「映像」であって、
どんなに鮮明であっても、
絶対的に存在するものではない。
それに気づくことができれば
執着から解放されます。

それは自我にも言えることで
「私」というものも
絶対的な存在ではありません。
つまり「日常の中の沈黙」である土台と
「私」という自我とは
別物であることを知る必要があります。
そう、ただ気づくだけでいいんです。
それにより、「私」という自我が消え去り
「私」と土台とが一体化します。

この世で生きることの苦しみは
自我への執着だから、
そこから解放された瞬間に
苦しみからも解放されるというわけです。
つまりヨーガをすることで、
生きる苦しみから解放されるということ。
牡羊座で生まれた自我を魚座で解放する
今まで講座の中でも、
「対象物と一体になり自我が消え去る」
と、いう言葉は何度も聞いてきていたのに、
全く気づかなかったのだけど……。
この言葉はまさに、魚座の特徴を表す言葉。

魚座というのは精神世界とか
死後の世界を表すともいわれていて、
三昧(サマーディー)というのは、
現代的な「生」を
超越した次元にあるというのが、
まさにそれだなと思いました。

12星座の一番初めの星座である牡羊座は
この世に生を受けたばかりの赤ちゃん。
牡羊座は、まず「私」というものを
認識する自我の獲得を表します。

次の牡牛座は
「私の欲、私の所有物」といった
執着を表します。
そして魚座の対極にある乙女座では、
整理、つまりあらゆるものを分類して
境界線を引いていくことを意味します。

12星座は、混沌から切り離されることで
「私」として、この世に生を受け
自我を獲得し、執着を経験し、
やがて、全てを手放して、また混沌に
戻っていく過程、
まさに人生そのものが表されているということを
改めて実感しました。
今も昔も人間の悩みは変わらない
ヨーガ哲学も占星術も
紀元前の昔から今日まで引き継がれているもの。
それは人々にそれだけ長い期間、
必要とされていたということを意味します。

つまり、遥か彼方、昔の人々も
現代のわたしたちも
同じようなことで悩んでいるということです。
だから、せっかく人生の先輩が
残してくれた知恵を
使わない手はないと思うのです。

ヨーガでも占星術でも、何でもいいので
自分にしっくりくるものを一つ持っておくと
生きていく上で大きな支えに
なってくれると思います。
是非、自分なりのツールを
見つけてみてくださいね。