やりたくないことをやめる大切さ
こんにちは。Pop Sick Life
セルフマニュアルサポーターaya.です。
なんとなく、世の中の風潮として
「やりたいことをやろう!」みたいな
流れが来ている感じがあります。

それは、すごくいいことだし、その通りなんですが、
やりたいことをやる前に
やらなきゃいけないことがあります。
それは「やりたくないことをやめる」ということ。
と、いうか、やりたくないことをやっているうちは
やりたいことはなかなか見えてこないと思います。
もくじ
やりたくないことしないのは、わがまま?
やりたくないことをやめるというと
「それはわがままだ!」とか
「やめたいけど(立場上)やめられない」
と言う声が必ず聞こえてきます。

でも本当にそうかなー?
「本当にわがままなのか?」とか
「やめるには、どうしたらいいか?」とか
考えてみたことはありますか?
もしかしたら、考える前から、無理だと
決めつけちゃってたりしませんか?
とはいえ、そういう風に教えられたのも確か
私は今年で41ですが、学校では、
やりたくないことをやることが偉いことで、
やりたくないことを我慢して続けていれば
いつか報われる日が来ると教えられました。
そして、親からも、そういう風に
教えられました。
でも、やりたくないことをやり続けたことで
私の元に残ったものは……
母の死と乳がん(しかもステージ4)!!

私と同じように……いや、50倍ぐらいストイックに
やりたくないことをやり続けた母は
亡くなる瞬間まで本当に辛そうでした。
この辺から、私の頭の中に
「あれれ〜、おかしいぞ???」と
はてなマークが浮かび始めました。
やりたくないことをやることの先にあるもの
やりたくないことをやり続けることが
私たちに与える影響は思っている以上に
大きいものだと思います。
一つ一つは小さいし、ずっとやり続けていると
だんだん麻痺して来るけれど、
確実に私たちを蝕んでいくと思うんです。
それは、私が、
散々やりたくないことをやり続けた末、
「これからの人生は、
もうやりたくないことはしない!」
と決めて、そんな生活を7年やってみて思うことです。
人間って生きていくために、
その場の環境に順応しようとするんですよね。

トイレに入った瞬間は
「臭っ!」
って思っても、だんだん慣れてくるのと同じで。
ずっと臭いまんまじゃしんどいから、
麻痺させるわけです。
トイレはたかだか5分くらいの話だからいいですが、
日常のやりたくないことって四六時中私たちに
襲いかかってきますよね。
麻痺してしまっていると、そのうち、
やりたくないことをすることが
当たり前になっていくんです。
でも、その時感じているストレスが
なくなっているわけではないので、
気づかないうちに着実に蓄積していきます。
サインを無視し続けた結果が病気
体はきっとサインを送っているはずなんです。
例えば、ちょっとした頭痛とか腹痛とかだるさとか。
でもそれを多くの人は無視します。
(そして私も例に漏れず)
そうすると、さらに重い症状として出てくるけど、
それでも薬を使ったりして
症状を無視し続けた結果が、病気だと
私は思っています。
少なくとも、
私の乳がんはそうやって作られたと思っています。
(ごめんなさい、私の体と心さん)

だから今は、なおさら一層
やりたくないことをやらないことを
頑張って(?)います。
自分の人生は自分で決めていい
初めは、なかなかわかってもらえませんでした。
みんなと違うことをすると、なぜだか
必ずそれをやめさせようとしてくる人が
出てくるんですね〜、これが。
その人は悪気なんか全くなく、むしろ
私のためにやってあげている
という意識だと思います。
でも、そこで流されないで欲しいんです。
やめさせようとする、その人は、
やりたくないことを代わりに
やってくれるわけではないのです。
結局やりたくないことをやって辛い思いをしたり、
ストレスを抱えるのは自分自身なんです。
だから、
自分自身の声を最優先させてあげてください。

今、病気なりなんなり、
辛い状況にあるのなら尚のことです。
やりたくないことをやらないってことは
ただ怠けてだらだらすることじゃないんです。
やりたくないことをやらないってね、
大変なんです。怖いしね。
それでも勇気を出して実行できた人だけが
前に進める、そんな風に私は思っています。
現場からは、以上です!