ずっと避けてきた……ヨーガ哲学が、すごかった話


どーも、こんにちは!
アトピーで乳がんだけど
元気にヨガインストラクターしている
aya.です!


私は、ヨガインストラクターですが、実は、
ヨーガ哲学をちゃんと学んだことがありません。


養成講座で、ちょろっと触れたことはあるけど
本当に、触れた程度。


本を買ってみたけど、読み始めて数ページで
訳わからなすぎて断念。


哲学っていう言葉自体が、なんか崇高で
学者とか、仙人みたいに
悟りを開いている人たちのものっていうイメージで

たくさんの本と哲学者の石膏像


わたくしめのような、俗物が哲学なぞ、
恐れ多い……っていうか理解できるはずがないって
思って……


要は、難しそうなので、徹底的に避けていました!


それなのに、なぜ、ヨーガ哲学の講座を受けようと
思ったかというと、Natuaの三浦綾子さんが
講師だったから。


綾子さんとは、以前、
ヨガインストラクター養成講座で同期でした。


養成講座が終わってからは、私はアトピーが悪化して
暗黒期に突入していたので、
しばらくお会いしていなかったのですが、


昨年末から体調が良くなってきて、
またヨガを(自分がレッスン受ける方の)
始めたい……と思って、綾子さんのスタジオ、
Natuaに通い始めました。


養成講座を受けていた時は、
そんなに話す機会がなく気がつかなかったけど


なんとまあ、気が合うというか
感覚が似ているというか、とにかく
綾子さんの醸し出す雰囲気が心地よくて
すっかり綾子ファンに。


そんな綾子さんが教えてくれる
ヨーガ哲学なら学んでみたいと思ったんです。


まだ、たった一回受けただけですので、
全然理解できているとは思いませんが、
初めてヨーガ哲学に、ちゃんと向き合ってみて
思ったことを書いてみたいと思います。

そもそも哲学とはなんぞや?


哲学って一体、何を学ぶ学問なのか。


なんかわからんけど、とりあえず難しそう。


「生きるとは?」みたいな、壮大で
崇高なテーマを、超頭いい人たちが
あーでもない、こーでもないと議論する、
そんなイメージ。

深く考え込んでいる哲学者っぽい人の石像


実際受けてみて、確かに、そのイメージは
当たらずとも遠からずではあるけど、


超頭がいい人たちだけのものではなく、
私たち全ての人間や、この世界全てに
関わるものだということがわかりました。


つまり、万物の本質で土台となるもの。
全てに当てはまるものなので、当然抽象的。


具体的に何をしたらいいのかは
教えてくれない。


だから、よくわからない。


なぜ、哲学が難しいと感じるのかの謎が
ここで解けました。


それだけでも、一歩前進。


なぜ、わからないかが、わからないから
入り口までも辿り着けずに挫折していたので。


ただ、幸せになるために生きる


「なんのために生きるのか」


母と祖母を立て続けに亡くして
せっかく転職した仕事も1年も経たずに
退職して、落ちるところまで落ちていた頃、


私は、ずっとこれを考えていました。
その時に私がたどり着いた答えが、


「幸せになるため」でした。


そして、
「これからは、自分が幸せになるために生きよう」
と決めました。


ヨーガは、自分の感覚という馬と
意思という御者、肉体という車体とを繋ぐ
手綱みたいなもの。


そこのバランスを整えることで「ただ幸せ」
という満たされた状態が、ずっと続く
真我を目指す。


それが「生きるということ」なのではないか。

透明な水晶玉を持っている


昨日の講座を受けた現段階では
私はそう解釈しました。


あの頃、原因不明の恐怖感に
四六時中苛まれていたけれど、ヨガを
している時だけ、そこから解放されたのは、


バラバラになっていた心と体が
ヨガをすることで、一時的に繋がって、
今に集中することができたからなんだろうなあ。


結局、恐怖感って、過去のフラッシュバックか
起こってもいない未来のことを想像して
起きているわけで、


今に集中していないから、恐怖に
囚われてしまうんですよね。


人生はどこまでも、自己修行


私が変えることができるのは、私の人生だけ。
他の人の人生を変えることはできない。


同時に、他の人が私の人生を
コントロールすることはできないし、
させてはいけない。


当たり前のことなんだけど、世の中の
ほとんどは、そうはなっていないと
気がついたのは、自分がガンになってから。


私が、私の病気について、どうするかを
決めているのに、その選択に対して
周りからジャッジされる。


実際、それを経験して、今までは、自分も
知らず知らずのうちに、自分以外の人を
ジャッジしていたのことに気がつきました。


それと同時に、自分の置かれた状況を
受け入れられずに、人のせい、境遇のせいに
していたことにも気がつきました。

黒人の掌に白いペンでNOと書かれた写真


人や境遇って、変えることができないから
そこに目を向けて批判したり、悲観している間は
何も変わらない。


何も変わらないから、むちゃくちゃ辛い。


それならば、現状を受け入れて、
「今、何ができるか」を考える方がいい。


と、いうか、それしかできることはない。


自分の人生に、責任を持つというのは
一見しんどいことのように思えますが、
実は「幸せになる」ことへの
一番の近道なんじゃないかと思います。

ブレる自分でもいい。


生きるってことは、ずっと動いているってこと。


上がる時もあれば、下がる時もあるわけで、
どんなことが起きても動じない……なんてことは
それこそ仙人にでもならなければ無理な話です。


だから、ブレてもいい。


ブレてる自分を、責めるんじゃなくて
「ああ、今、私ブレてんなあ」って
客観視できることが大事。

ふりこの写真


客観視するためには、自分の中に
軸みたいな部分が必要。


軸があれば、いくらブレても必ず
戻ってこられるという安心感があるから
一歩離れて自分を見ることができるんです。


その軸を作るための、手段の一つが
ヨーガなんじゃないかなと私は思います。

哲学は当たり前のことを教えてくれる


今回の講座で心に残った言葉が


「ヨーガ・スートラ(ヨーガ哲学書)に
書いてあるのは、当たり前のこと」
だということ


哲学が、全ての本質であり土台であるなら、
それは、とてもシンプルなものだと思うんです。

建物の基礎を作っている写真


そうでなければ、「全て」の本質には
なり得ないから。


シンプルなものの上に、いろんな思考や
エゴが積み重なって、
ややこしくなっているんじゃなかなーと
思います。


積み重なったものを一つ一つ、
どかしていけば、
「生きること」って本当は
すごくシンプルなんだと思います。


ただ、積み上げることに慣れすぎて
それをどかす方法を忘れてしまっているのが
私たちで、それをどかす方法が
ヨーガなんじゃないかと思います。

アーサナ(ポーズ)はヨーガのほんの一部分


わかりにくくて難解なものよりも、
わかりやすくて簡単なものの方が
広がりやすいのは仕方がないことで、


今や、ヨガといえば、アーサナ(ポーズ)をとる
ハタ・ヨガというイメージですが、
それは本来、ヨーガという大きな山の一部分でしか
ありません。


ヨーガ自体が、よりよく生きるための
手段であり、さらにその中の一部にしかすぎない
ハタ・ヨガを目的と勘違いして、
右往左往していたなあ……。

女性が胸の前で合掌している写真


学び続けることは必要だけれど、
私には私のヨガがあって、それを
人と比べる必要はないんだということを
改めて実感しました。


私はヨガインストラクターなんだから、
アーサナを伝えなければ……と自分に
ガチガチに制限をかけていたけれど、


新しく始めた「aya.のトークルーム」だって
ヨーガの一部であって、そもそも
分ける必要がなかったんだなあと
思いました。


このタイミングで、
ヨーガ哲学を学ぶことになったのも
きっと決まっていた流れなんだろうなと
思わざるを得ないほど、


今まで、敬遠していた、ヨーガ哲学が
スッと自分の中に入ってきた感じがしました。


月一回開催されるようなので、
次回も是非是非、参加したいと思っています。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました!












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