ざわつく心を静かにするには


こんにちは。Pop Sick Life
セルフマニュアルサポーターaya.です。


以前「心が振り回されない方法」というタイトルで
YouTubeをあげたのですが、
それのブログ編です。


同じ「言葉にする」という行為でも、
文章にするのと話すのとでは、全然違うんですよね。


もちろん同じテーマを取り上げているので、
同じことを言っているのですが、

表現の仕方が違ったり、視点が変わったりするので、
面白いです。


話がそれましたが、

心が振り回されないようにとか
心を静かにするスキルって

現代では必要不可欠だと思います。


今日の話はヨーガ哲学の講義をもとに
書いていきますが、

このヨーガ哲学の起源は
紀元前二千年とか三千年とかって
言われているそうです。


その頃とは比べものにならないくらい、
現代は、心が揺さぶられるもので
溢れていますからね……。


↓動画はこちら↓



必殺!四無量心


四無量心というのは仏教の教えの一つで
慈、悲、喜、捨の4つの感情で満たすことで、
心を静かに保てるというものです。


は、他人の幸福を共に悦ぶ心

他人の不幸に同情する心

他人の善行をともに賀する心

他人の悪業に対して憎悪も共感もいだかない心


慈と喜は、比較的わかりやすいと思いますが
悲と捨が、ちょっと難しいので
私なりの解釈を書いてみます。


悲:他人の不幸に同情する心


悲の他人の不幸に同情する心というのは、

「かわいそうに……」

って憐れむのとは、ちょっと違って、
他人の不幸を自分の不幸としてとらえ、
寄り添うこと
です。


実は、私、「かわいそう」っていう言葉が
あまり好きではない
んです。


と、言いつつ、
つい無意識に使ってしまうこともありますが(汗)
なるべく使わないようにしています。


と、いうのが私自身が「かわいそうな人」として
接された時、すごく嫌だった
から。


ほら、私って、
なかなかハードな経験してるじゃないですか(笑)
(詳しくはこちら→


その度に一定数、私を
「かわいそうな人認定」してくる人がいるんですが、

そういう人たちって、「かわいそうな私」に
何かをしてあげている優しい自分を
感じたいだけ
なんですよね。


だから、相手の施しを私が丁重にお断りすると、
今度は怒りを向けてくる。
(そりゃないよ……)


悲の心で接してくれる人たちは、

「冷たいと思われるかもしれないけど、
私はあなたではないから、

あなたの気持ちはわからないし、
何もしてあげられない……。ごめんね。


もし、何かできることがあったら言って。
話くらいは聞けるから」
と言ってくれました。


ただでさえ辛いのに
「かわいそうな人認定」して接してくる人に
疲弊させられても、

悲の心で接してくれる人たちがいたから、
私は立ち直れた
と今でも心から感謝しています。


捨:人の悪業に対して憎悪も共感も抱かない


捨の、人の悪業に対して
憎悪も共感も抱かないというのは、

相手との間に境界線を引いて、
一歩下がって、ただ、見るという感じでしょうか。


無関心になるのとは違って、
相手の行っていることをただ、事実としてみる
だけ。


そこにジャッジを加えない。


あの人は間違っているから
正してあげなきゃ
というのが、
まさに、心が揺さぶられている状態。


相手がそれに反抗した場合、
さらに心はぶんぶん揺さぶられることになります。


人と比べない、ジャッジしない


こうしてみると

慈、悲、喜は相手との境界線をなくし、
相手に起こったことを自分のこととして捉え


だけは相手と自分との間を境界線で
切り分ける
っていう感じでしょうか。


すごくシンプルで
当たり前のことのように思えますが、
シンプルで当たり前のことこそ難しい。


だって、
ともすれば嫉妬や妬みにつながりかねませんからね。


4つ全てに共通していることは、
人と比べないってことでしょうか。


もっというなら、
人と比べてジャッジをしないってことかな。


ジャッジって結局主観だからね。


主観は生きていくのに必要不可欠なものだけれど、
主観を人に押し付けても、
自分も相手も苦しいだけ
だよってことですね。


それがわかっているだけでも、
心はだいぶ静かになると思います。


自分と相手は違う。


みんな違ってみんないい、です。